とうとう見つけられなかった旧マサチューセッツ州会議事堂と、ボストン虐殺地跡
重ね重ね、無念である。フリーダムトレイル完全制覇を目指していたのに、オールド・サウス集会所を出、迷子になった後、地図を見ながらも思うように起動修正することができず、フリーダムトレイルの10番目のポイント旧マサチューセッツ州会議事堂と、11番目のボストン虐殺地跡を、とうとう見つけることができなかった。ほんの目と鼻の先まで行ったのに、ボストンの曲がりくねった古い町並みは、観光客にとって、容易に旅できる場所ではなさそうだ。
旧マサチューセッツ州会議事堂は、1713年イギリス政府の建物として、その役目をスタートし、マサチューセッツ州会議事堂になったのは、独立戦争後のことである。この建物のバルコニーから、独立宣言がボストン市民に向けて発布された。現在は博物館になっており、地下のワインセラーは、地下鉄の駅になっているという。このことを知っていれば、後で地下鉄に乗ってやってこれたものをと思えど、後の祭である。博物館が出しているホームページがあるので、ぜひとも見ていただきたい。
http://www.bostonhistory.org/?s=osh
この旧マサチューセッツ州会議事堂の前で、「ボストン虐殺事件」が起こった。これは、イギリス人士官が散髪代を支払わなかったという誤解から、ボストン人とイギリス人の間で乱闘が起こり、その結果、ボストン人5人が射殺されたという事件である。この状況を描いたポール・リビアの版画は(他の人が描いた原画を基にして、ポールリビアが版画にした)、アメリカの歴史の教科書に載っているというので、アメリカ人なら誰もが知っている有名な絵なのだろう。しかしこの版画は、必ずしもこの事件を正確に描写しているわけではなく、サミュエル・アダムス等の独立急進派「自由の息子達」が、独立をよびかけるためのプロパガンダに利用したらしい。この事件の跡地を示しているのが、「ボストン虐殺地跡」である。そこには、道にその当時のブロックが残されている。
http://www.bostonhistory.org/?s=osh&p=exhibits
2010年4月18日日曜日
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