2010年4月18日日曜日

ボストン・フリーダムトレイルの旅6 ベンジャミン・フランクリンの銅像



私の勘違いが始まったのは、このあたりからである。私が持ち歩いたインターネットのコピーには、キングス・チャペル墓地の後のフリーダムトレイルのスポットは、「First Public School(最初の公立学校)」となっている。「ベンジャミン・フランクリンも通ったアメリカで最初の公立学校の跡地を示すため、歩道にモザイクが残してある」と書かれている。私もこのモザイクを、アメリカ人が撮影したフリーダムトレイルのビデオの中で見ている。ビデオを撮影した本人も、これをフリーダムトレイルの一つとして紹介していたと思う。なので当然、私はこのモザイクを捜していた。しかし、スクール・ストリートに入るとすぐに「Old City Hall」というサインが見え、なんだか、フリーダムトレイルらしい名前で、これもフリーダムトレイルの一部なのかと、私は俄然興奮しだした。その奥には、ビデオでも見たベンジャミン・フランクリンの銅像が立っている。モザイクのことが気になりながらも、吸い込まれるようにこの「ボストン旧市役所」に入った私は、夢中でカメラのシャッターを切った。フランス式のとても美しい建物である。私のテンションが上がったのも無理はない。しかし、フリーダムトレイルの6番目のスポットは、どうやら「ベンジャミン・フランクリンの銅像」らしい。いや私としてはやはりモザイクの方がオリジナリティーがあり、こっちを本式とすべきだと思うのだが、私はとうとうこのモザイクを発見せずに終わってしまった。なんと言う屈辱か!フリーダムトレイル完全制覇を目指していた私には、大変無念でならない。



夫は、旧市役所の中に入り、壁に書かれた大きな説明を読み出した。そこには、「ボストン公立ラテン学校」と書かれている。つまり、この旧市役所は、アメリカ初の公立学校跡地の一部に立てられているらしいのだ。この学校は1635年に設立され、無料であった。この近所で生まれたベンジャミン・フランクリンも、退学になるまではこの学校に通っていた。ベンジャミン・フランクリンは、アメリカ建国に貢献した「建国の父」の一人で、政治活動の他にも、発明や本、新聞の出版など、多分野において才能を発揮した。彼の肖像画は、アメリカの100ドル札にもなっている。私は「アメリカ文学」の授業で、彼が書いた「フランクリン自伝」や「富に至る道」を読んだ。大変面白い本で、日本語にも訳されているので(実は私は、日本に帰った時に翻訳書を購入し、アメリカ文学の授業を乗り越えた!)、読むのをお勧めする。入口から奥には行かなかったが、旧ボストン市役所は、中にステーキハウスが入っているらしい。

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