2010年4月20日火曜日

ボストン・フリーダムトレイルの旅13 オールド・ノース教会



この教会は、ポール・リビアが「真夜中の疾駆」を行った夜、イギリス軍の侵攻を、レキシントンにいるサミュエル・アダムスとジョン・ハンコックに知らせるため、教会の尖塔にランタンをかけるよう、寺男のロバート・ニューマンに頼んだ事で有名である。「陸路であれば一つ、水路であれば二つ」と、その合図は予め決められていたという。これは、ポール・リビアが途中で捕まることを懸念してのことだった。

それにしても、なぜポール・リビアは、イギリス軍の侵攻を知っていたのか?一部の歴史家や歴史小説では、この時のイギリスの将軍ゲージの妻マーガレットが、アメリカ人医師ジョセフ・ウォーレンに情報を流していたと言うのだ。これが事実であるとしたら、このアメリカ生まれの妻、かなりあっぱれな女性である。アメリカ独立の背景に、女性スパイが働いていたとしたら、私としては、かなり痛快である。

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