2010年4月11日日曜日
パスポート入手!シカゴの街を歩く
2009年6月9日
アムトラックでセント・ルイスからシカゴに午後8時過ぎに着いた私達は、長旅のため、かなり疲れていた。ここから重い荷物を持って、地下鉄駅を捜し、空港近くまで行かなければならない。夫がインターネットで予約したホテルは、オヘラ空港の近くにある「Extended Stay America Hotel」だった。シカゴ市内はホテルが高いので、少し郊外でと考えたら、このホテルにたどり着いた。インターネットの宿泊経験者の意見によると、なかなか快適なホテルらしい。しかし、このホテルの電話番号を持っていなかった私達は、空港からホテルまで、どうやって行けるかわからなかった。たぶんシャトルバスがあるだろうと期待していたのだが、番号案内で調べた電話番号にかけてみても、誰も出ない。ホテルなのに誰も出ないとは、どういったことなのだろうか。疲れた私達には、この不便さに、ずいぶんいらいらした。空港で働く人に、とにかくシャトルバスが出ている場所に案内してもらう。翌日は、日本領事館に行き、その後、次の飛行機の時間まで市内観光をしようとしていた私達は、荷物を預けられるロッカーが空港にあることを期待していた。それを案内係に聞いてみると、「9・11以来、空港にロッカーは無いんだよ」と言われた。なるほど、それなら仕方がない、早めに飛行機のチェックインができることを、祈るしかない。
シャトルバス乗り場に行くが、私達のホテルのシャトルバスは、なかなか来ない。その辺りをぐるぐる回ることをしばらく続けたが、夫は他のホテルの運転手に、私達のホテルのシャトルバスがあるか、聞いてみた。彼は、「いつも来ているが、もしかしたら、もう今日の便は終了しているのかもしれない」と言い、親切なことに、わざわざ彼の携帯で、ホテルに電話をかけてくれた。彼の言うとおり、今日のバスはすでに終了していると言うことだった。途方にくれる私達に、「うちのホテルのすぐ近くだから、連れて行ってあげるよ」と、他の客がいないのに私達を乗せて、彼のバンを運転し始める。彼はシカゴ出身のラテン系アメリカ人だった。このような人が話す英語は「チカノ・イングリッシュ」と呼ばれる。Chicanoは、スペイン語を話す両親を持つアメリカで生まれた人たちのことである。スペイン語なまりがある英語を聞き生まれ育った人たちは、それを母国語として言語を習得し始める。なので、私が普段聞いている英語とは、かなり違う。チカノ・イングリッシュを普段聞くことが無い私にとって、それはとても興味深く、大学で取った言語学の授業や、その講義をした言語学の教授をふっと思い出したりした。その親切な運転手に、チップとして6ドル渡し、私達はホテルの中に入った。
小さいながらも綺麗なカウンターでチェックインする。そこで働く受付の女性は、たぶんメキシコ人であろう、少しアクセントがある英語を話した。空港で電話をした時、誰も出なかったのはなぜなのだろう、不思議に思ったが、翌日の夫の話によると、あの電話案内でもらった電話番号は、全く間違いで、どこかの事務所の物だったようだ。メッセージを残した夫の携帯に翌日、その事務所から電話がかかった。なんと、無責任な電話案内か。いい加減な仕事振りに、少々頭に来た。
ホテルの部屋は、インターネットの評判通り、なかなか良かった。入口には小さなキッチンが付いており、自分で料理することができる。自宅から持ってきたおにぎりと、そのほか残っている食べ物を、全て冷蔵庫の中に入れる。コーヒーメーカーも付いているので、これでコーヒーやお茶を入れることもできる。しかし、疲れていた私達は、しばらくテレビを見た後、すぐに眠りについた。
翌日、予約したシャトルバスの時間に少し遅れながらも、あわてて空港行きのバスに乗る。シャトルバスの中には、もう一人他の客が乗っていた。空港に着き、カウンターに行こうとするが、私達の航空会社Air Tranが無い。また、空港の人に聞いてみると、「それはMidway空港じゃないのか?」と言われる。なんともまあ、知識不足もいい所で、私達はシカゴに2つ空港があることを知らず、(考えてみれば、アメリカの大都市に2つ空港があるのは当たり前で、カンザスシティーにさえ2つある)間違った空港に来ていたのだ。これが搭乗時間直前でなくて良かった。オへラ空港にロッカーなど無くて良かった。またまた仕方がないので、とりあえず、日本領事館があるダウンタウン方面まで、重い荷物を持ち、地下鉄に乗る。地下鉄と言っても、途中までは外を走る。こういう風に公共の移動手段を使う段になると、日本生まれの私の知識と経験は、大変役にたつ。私は予め、インターネットで地下鉄の電車の地図をコピーしていたので、日本領事館への行きかたは、わかっていた。普段カンザスシティー周辺をドライブする時は、夫に頼りっきりの私だが、都会方面では、バスや電車に乗る日本の生活を知っている私がリードをした。
乗り継ぎをし、地図を頼りに歩きながら、日本領事館があるビルに辿り着く。そこはシカゴの目抜き通りの一つ「マグニフィシェント・アベニュー」のすぐ近くだった。エレベーターに乗り、領事館に行く。扉を開けると、一様、セキュリティーチェックを受けねばならないようになっていた。鞄をX線に通し、ゲートをくぐる。そして親切なアメリカ人のガードマンが、ばい菌を殺菌するジェルを提供してくれた。さすが日本のオフィスは、やることが細かい。昨今の「Swine Flu」を配慮して、ばい菌を撒き散らして欲しくないのかもしれない。このガードマン、お父さんが米軍基地で働いていたらしく、ドイツに住んでいた頃、エルビス・プレスリーを訓練したらしい。エルビスと彼が一緒に映った写真は、銀行の金庫に保管してあると言う。
パスポートは、簡単に受け取ることができた。新しいパスポートには、旧姓の後ろに(Durbin)と、現在の名前が加えられている。結婚生活も3年近く経つので、Durbinの名が私の名前として定着しているのだが、日本の戸籍名を変えていないので、このような形になるのは仕方がない。しかし、これで一人で海外旅行をする時でも、名前の件で問題になったりはしないだろう。
この後、シカゴの街を観光したかったので、領事館の方に「この辺で、荷物を預かってくれる場所はありますか?」と聞いてみた。私としては、こういう風に聞けば、きっと預かってくれるに違いないと思ったからだ。案の定、親切な領事館員は、次の間に私達を通しいれ、荷物を預かってくれた。夫は、「日本人は親切だね」と喜んだ。こういう時の夫は要領を良く心得ていて、「アリガトゴザイマ~ス」と、片言の日本語で、かわいくお礼を言う。領事館の方も、笑っていた。
さて、身軽になった私達は、早速シカゴ観光に出る。実は、私達夫婦は2年前、シカゴに一緒に来たことがあった。なので、その時に歩いたコースとは違う所を歩きたかった。幸い領事館があるマグニフィシェントアベニューは、以前歩いていない上に、観光スポットも多い。そこで、ガイドブックを頼りに、その近辺を歩く。まず、最初にシカゴで最も古い建物「ウォータータワー」の写真を撮る。このタワーは、1871年に起こったシカゴの大火事から残った、唯一の建物らしい。周りの近代的な高層ビルの中にマッチしながら、昔の面影を残していた。その後、近くにあったMacy'sに入り、洋服を見た後、フードコートでピザを食べる。シカゴで食べたい物の一つが、「シカゴピザ」だった。私が食べたピザは、シカゴの典型的なピザではなかったが、パイナップル入りのピザは、驚くほどおいしかった。パイ生地がさくさくしていて、パイナップルの甘さが絶妙なコンビネーションだった。デパートのフードコートにあるピザ屋だったので、あまり期待もしていなかっただけに、このピザの発見は、嬉しい物だった。
この後、シカゴで2番目に高いビル「John Hancock Center」に行く。このページの一番上の写真がそれである。この高層ビルは展望台があり、曇り空のため最上階は視界ゼロであるが、途中の階では何とか外を見ることができるというので、そちらの方に行ってみることにした。エレベーターに登る前に、写真を撮るスタジオがある。そこで、カメラマンの言葉にのせられ、私達は記念写真を撮った。もちろんこういう写真は、お金を払わなければならない。この写真は上の展望台で受け取った。
展望台では、各自で聞ける音声ガイドをつけて、シカゴの街を見下ろすことができる。日本語があったので、私は日本語でこの音声ガイドを聞いた。今回シカゴにいる時間はかなり短かったので、このようにまとめてシカゴが見れるのは良いと思った。
左の写真は、北方面にあるビーチである。右の写真は、ネイビーピア方面。
展望台を出た後は、John Hancock Center 前にあるテーブルに着き、写真を撮った。この場所は、ガイドブックに載っていたので、ぜひとも写真を撮りたいと思っていた場所だったのだ。少々、良い気分であった。
あまりお腹が空いていたわけではないが、せっかくシカゴまで来たのだから、有名な「シカゴホットドック」なるものも食べてみたい。そこで展望台にいた案内人から聞いたシカゴで有名なホットドック屋を目指し、しばらく歩くが良くわからなかった。そこで、また道の途中で出会った男性に、「あそこはどう?」と指し示されたホットドック屋に行く。シカゴホットドックの特徴は、ポピーシード付きのパンに、大きなピクルスとトマトを入れ、ケチャップ無しということらしい。初めて食べるシカゴのホットドックは、なかなかおいしかった。寒かったが、せっかくなので外のテーブルで、震えながら食べた。
この後、領事館に戻り、荷物を受け取り、日本の選挙の投票の登録ができるというので、せっかくならと、時間の無い中、登録しておいた。その後、急いで地下鉄の駅に行く。ついでにシカゴの街の様子を紹介するため、この前後に取った写真をご紹介。
地下鉄の電車に乗り、次の乗り継ぎの話しをしていると、私達に声をかけてきた女性が現れた。何でも私が言っていた駅で乗り継ぎをすると、ダウンタウン周辺の「ループ」に入ってしまい、東京の山手線のようにダウンタウンを一巡するらしい。なのでその駅で乗り換えると、遠回りになってしまうので、2つほど先の駅で乗り換えた方がいいと言うのである。飛行機の時間が迫っていた私達にとって、このアドバイスは、大変ありがたいものだった。というのは、Midway 空港のAir Tranのカウンターに着いた時、受付係に「あと2分で荷物の預かりを締め切るところだった」と言われたのだ。もしこの時、あの女性がアドバイスしてくれなかったら、私達は、飛行機の時間に間に合わなかっただろう。今回の旅では、こうしてその土地で出会った人たちに助けられることが、多かった。知らない土地で、知らない人に助けられるのは、なんとありがたいことだろうと、感謝せずにはいられなかった。こうして、いつも時間にぎりぎりでありながら、私達は、ボストンに向かった。
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