2012年5月31日木曜日

アウトバック・ステーキハウス


 先日、遅ればせながら、私の誕生日を「アウトバック・ステーキハウス」という「オーストラリア」をテーマにしたアメリカはフロリダ州本拠地のレストランで、祝った。夫が「アウトバック」を選んだのは、卒業祝いで叔母さんからアウトバックのギフトカードを貰った為。(まあ、いいけどね。)それなら遠慮せず、好きな物を食べさせていただきますと、事前にインターネットでメニューを調べ、いざ出陣!である。

 今回私達が行ったのは、カンザスシティーのゾナロサという人気のモールにある店舗だ。ディナーには少々早い時間に行ったので、待つことなくすぐ席に着けた。ウエイターはなにやら長々と説明していたが、私は「ロブスター」と心に決めていたので、あんまり聞いていなかった。最初に付け出しなのか、パンとバターが出てきた。


 テーマが「オーストラリア」というのは、「オーストラリア牛」を売りにしたステーキがメインなのだろうが、メニューには、その他のものもあり、私はもちろん「ロブスターテイル」をオーダー。3ドル追加するとロブスターが3つになると言うので、「ギフトカードありなんだから、豪華に食べよう」と、3つ注文した。




 夫が頼んだのは、大きなベークドポテト付きサーモン。




 夫婦揃って、ごっついビーフステーキよりも、シーフードを注文。アメリカ中西部生活、ビーフステーキを食べる機会はゴロゴロあるが、シーフードが食べられる機会は少ない。ましてや「ロブスター」なんて、滅多に無い。ロブスターもサーモンも美味しかった。



 最後に「キーライムパイ」をデザートに迎え入れ、私のバースデーディナーは終了した。


2012年5月20日日曜日

Me Time



母の日のピクニックで、それまでポーチ下の狭い場所に置かれていた夫作成のピクニックテーブルを、芝生の上に移動した為、これまでしなかった「ディナーを裏庭で食べる」ということを、するようになった。でその初日にたまたま作ったスープ。ブルシュケッタに載せる予定だったが、夫からブーイングが出たため使わなかったトマトで、スープを作った。オリーブオイルとガーリックいっぱいだったトマトに、さらにハーブとレッドペッパーフレーク、コショウを加え、さらに冷凍のシーフードミックスを入れた。茹でたジャガイモとコーンも冷蔵庫にあったので、これも加えた。とっても簡単、スピード料理。美味しかった。  

 自分一人の時間。何かを本当に楽しみ、味わいながら過ごす時間。意外に近い場所で、そんな時間が過ごせることに気付いた。

2012年5月18日金曜日

母の日のピクニック



 「母の日」は、どうやらアメリカで始まったらしい。

 毎年、あまり母の日のお祝いを正式にしていない事に、少々罪悪感を感じていた私は、夫に、「母の日どうする?」と相談した。いつも忙しい夫なので、全日を使うのは無理だと思っていたが、意外な事に、「食事でもするか」と言ってくれた。彼としては軽く何か買って来て、自宅で映画でも見るくらいに考えていたらしいのだが、彼の言葉に感化された私は、張り切ってプランを立て始めた。まず初めに、先日見たウォールマートのピクニックセットを購入し、家の裏庭か公園でピクニックをしようと、夢が膨らむ。夫が母の日プランにゴーサインを出したのが、既に木曜日だったので、慌てて翌日の金曜日、夕食後に一人でウォールマートに向かった。

 ウォールマートの一画に、カラフルなピクニック用のプラスティック製食器が並べられている。前回ウォールマートに行った時、あまりにも可愛いので、ツツーッと引き寄せられたコーナーだ。その時は時間が無かったので、「次回はぜひ」と思っていたのだが、今回早々と夢が叶い、嬉しい限りである。そこで緑色の皿、スープカップ、ブルーのコップ等を、かなりの時間を費やして選んだ。

 そして、メニュー選びも大切である。ウェッブサイトで調べると、母の日のメニューには、軽い食事が多いように見える。朝食やブランチをするのが母の日の典型例らしいので、卵料理等、軽い料理が多い。しかし夫の姉はこの日仕事をしなければならなかったので、ブランチをするわけにはいかない。プランを立て始めた日の夜、予約録画してあった「フレンチ・フード・アット・ホーム」という料理番組の中に、「スタッフド・チキン・ロール」があった。作り方はそれほど難しくもなく、なんだかお洒落に見える。「よし、これでいこう」と思った。これなら軽めで、母の日にはもってこいだ。

 私のメモ書きに書かれたその他のメニューは、「サラダ」「ブリュシュケッタ」「スープ」「キッシュ」「ケーキ」だ。これらのメニューを頭に入れ、土曜日にダウンタウンにある「シティーマーケット」に行った。シティーマーケットは、要するに「ファーマーズマーケット」で、新鮮な野菜が破格値で買える。ここで大量に野菜を購入しようと思っていたのだが、この日はあまり、ぱっとしたものが無かった。ファーマーズマーケットは、その日によって値段も違うし、売っている野菜や果物の種類も違う。それでも、トマト、キュウリ、マッシュルーム、レタス、オレンジ、ネギを購入した。普通のスーパーにも寄って、その他に必要な物を買い、家路に向かった。


 土曜日の夜から料理を始め、日曜日の当日、夫の母、姉、姉の二人の娘達がやってくるまで、それは戦争のようだった。そんなに頑張る必要は毛頭無いのだが、やはり我が家でピクニックをするとなると、気が抜けないのである。ブリュシュケッタのトマトは、ガーリックを多めに入れすぎたせいか、夫があまり好まなかった為、採用せず、スーパーで買ったバゲットを切ってそのまま出す事にした。以前、夫の会社の「クラムチャウダー」に、ジャガイモとコーンを加えたら美味しかったので、同じものを作ろうと思い、大量にジャガイモとコーンを加えたら、その缶詰は「チャンキー・タイプ」で、缶詰の中に既に沢山の具が入っており、スープというより、ポテトサラダという感じになってしまった。キッシュのレシピには、「ハーフ・アンド・ハーフ2カップ」とあったので、最初はレシピ通りにしていたのだが、あんまりにも液体が多過ぎるように思い、卵2個をさらに追加した。しかし、オーブンから焼き上がったキッシュを見ると、どうも固そうに見える。この時点で、卵を追加した事を後悔した。やはりプロの言う通り、レシピに倣って作る方が無難だ。ケーキは、スーパーから「レッド・ヴェルヴェット」というケーキミックスを購入してあった。今回、初めて円形のケーキを半分に切り、中にクリームチーズを塗る技を習得したが、ケーキミックスの箱にある写真とは、どうも違うように見える。「私はプロのケーキ職人じゃないからね」と夫に言い訳をしたが、夫は「美味しそうに見えるよ」と慰めてくれた。

 こうして、自分としては100パーセント成功とは言いがたい出来栄えだったのだが、姉の娘は、「これ全部自分で作ったの?」とビックリしていた。アメリカ人の特徴として、人のした事を「褒める」というのがある。あんまり出来は良くなくても、「まあ、とても美味しいわ」と褒めるのである。こういう時、正直な感想は不要で(というか失礼で)、何事も前向きに捉えるのが、アメリカ人のエチケットである。なので、本当の感想はなかなか聞けないのだが、最初の印象は、それ程悪くなかった。

 我が家の裏庭の片隅に、夫が数年前作ったピクニックテーブルがあった。それは二階のポーチから続く外階段の横にあったのだが、そこでは窮屈過ぎるので、今回、芝生の上に出す事にした。これは力仕事で、隣の住人を呼んでこなければならないかと思っていたが、私と夫と姉と娘の四人で持ち上げたら、思ったより簡単に移動できた。そのピクニックテーブルを、夫が箒で掃いてくれ、その上にテーブルクロスをかけた。我が家で初めての本格的ピクニックで、嬉しかった。


 さていよいよ、家の中で食事を皿に盛りつけ、各自が自分の皿を持って、裏庭に繰り出した。次回はもう一つテーブルを用意して、食事全てを外に出せるようにしようと思った。それには、食事をカバーする卓上蚊帳が必要だ。そういうのを、店で見た事がある。ぜひ、購入しよう。そうしたら、もっと気軽にピクニックが楽しめる。



 天気は暑くもなく、寒くもなく、とても澄んだ空気の中、芝生の緑が美しかった。家の裏庭が、こんなに美しく見えた事は無かった。外で食事をすると、どんなものも美味しく感じる。犬のボジョがテーブルの周りをうろちょろし、チキンやベーコンを得ようと、執拗に迫ってくる。彼のコレステロール値は、この日急激に上昇したに違いない。


 最後に、ピクニックテーブルに出したケーキをカットした。ケーキは、昔母にもらった丸いガラスのケーキサーバーに入れた。今回、ケーキを丸くしたのも、このケースに入れたかったからだ。母は「自分で作ったの?」と驚いていたが、箱に入ったケーキミックスがあれば、こういうのは簡単に出来る。私がこのケーキを家の中から運んでいる時、一番下の姪が「運ぶの手伝うわ」と申し出たのには、驚いた。つい最近まで本当に幼い子供だと思っていたのだが、こうして手伝いを申し出るとは、子供の成長の早さに驚いたのだ。原石がダイアモンドになるような変化を見た。

 食事終了後、全てを家の中に運び入れ、リビングルームで母が持参したビデオを見た。それは物理のドキュメンタリーで、興味深いが皆で笑ってみる内容では無かった。疲れていた私は、非常に眠くなったのだが、夫は母達が帰った後、全話を見たらしい。私はその間、100パーセント眠り続け、夫がビデオ鑑賞終了後、目が覚めたら午前二時近かった。全く目が覚めなかった自分に驚いた。よっぽど疲れていたらしい。とにかく、母の日は無事終了した。

2012年5月16日水曜日

卒業パーティー



 実を言うと、この卒業パーティーの会場探しに、私は随分精を出した。何件かレストラン巡りをし(このブログに書いた以上の数!)、ワイナリー(!)やレストランに会場費としてどのくらい経費がかかるのか、メールの問い合わせをかなりした。はたまた、公園でピクニックなんてことも考え、インターネットを酷使して、予約費用のチェックもした。

 しかし!私の努力は全て無駄に終わり、夫は「ノー」の連発。もうどうでもいい!好きなようにやってくれ、私はもう干渉しないと、しばらく放っておいたのだが、やっぱり人間、自分を変える事は難しいらしく、夫が選んだのは、「Minsky's」という、私達にとっては、とってもおなじみのピザ屋。これは、数年前の夫のいとこと、全く同じパターン。ああ、それだけは避けたかった、おばさんと同じ事しか出来ないなんて!と思っていたのだが、Minsky'sは、卒業式があった大学キャンパスから近く、店内も広々、予約しなかったから、もちろん予約料なんてのも取られなかったし、ピザはどでかく、四つ頼んでも大量に余るほどだった。私が最終的に払ったチップ&税金込みの値段は、130ドル以下だった。大量に飲まれたビール代込みの値段である!これは、大当たり。メールで問い合わせたレストランの中には、部屋代だけで300ドル要求する所もあったので、こりゃ、大バーゲンだわと、経費支払い係りは、思ったのであった。

 さて、卒業式も終了し、外での大写真撮影大会を終えて、いよいよそのMinsky's Pizzaに移動することになった。Minsky'sはカンザスシティー近郊に何件か店舗があり、叔母達は道順が良くわからないようだったが、とにかく出発!案の定、途中で夫の携帯に電話がかかり、また一から説明している。それも終わって、やっと駐車場から出ると、友人の一人が、駐車場に到着した。学校では会わなかったので、卒業式には出席していなかったのかと思ったが、ちゃんと会場に行ったという。全く知らなかった。もう一人の叔母もレストランに最初に到着しており、彼女もキャンパスでは見なかったが、卒業式に出席していたという事だ。

 しばらくして、どやどやと叔母さん、姪、従弟がやって来る。にぎやかである。夫はレストランでもずっと卒業式のガウンと帽子を被り続けていた。これで周りの客にも、卒業パーティーをしているのは、一目瞭然だろう。私は、こういう機会がある度、つくづく思うのだが、卒業式だろうが、葬式だろうが、それは寄り集まることの口実で、結局、夫の親戚一同は、こうやって一緒に食事するのが、大好きなのだ。私が嫁入りした家は、そんな家庭だ。

 ピザを食べて、ビールを飲んで(私はダイエットコーラを飲んだが)、夫も親戚達も、満足そうだった。この卒業パーティーの為の私の努力は何も役に立たなかったが、夫は満足そうだし、それが一番重要なので、よき思い出になった。

2012年5月13日日曜日

夫の大学卒業式


 ある夜、仕事から帰って来た夫は、同じ会社の従業員の誰かが、会社の奨学金を使って、大学を卒業したことを私に語った。夫の会社は、大学の授業料の大半を肩代わりしてくれるというのだ。会社からの支給額は、成績が「A」であれば、その授業の90パーセント、「B」であれば80パーセントと、成績によって差があるらしい。その話しにかなり感化された夫は、自分も大学に行って学士号を取得したいと言い出す。会社からそれだけの援助があれば、挑戦しない方が損だと思い、私は夫の大学通学に協力することにした。

   成績によって会社からの支給額が変わるというのは、かなりのモチベーションとなったのか、夫は猛烈に授業に取り組む。授業の前には教科書を読み、仕事から帰った深夜、レポート作成に明け暮れる。高校卒業後に行ったコミュニティー・カレッジの単位を、社会人用の大学に移行した夫は、そんな生活を二年程続け、今年の五月、晴れて大学を卒業することになった。

  夫の卒業式は、五月五日。奇しくも、七年前の私の卒業式と同じ日だ。なんだか、不思議な運命の歯車を感じる。そんな風に感慨深く、夫の大学のキャンパスがある、カンザス州オレーサに向かった。

  駐車場に着くと、そこには既に、ガウンを着た卒業生とその家族が、三々五々集まっている。そこで夫にガウンを着用させ、私は張り切って写真を撮った。朝の澄んだ空気の中、ガウンに身を包んだ夫は、とても誇らしげに見えた。

  卒業生には特別の控え室があり、そこで待機しなければならなかったので、私は卒業式会場に、一人で入った。夫の大学はキリスト教系の大学で、式は「サンクチュアリ(聖域)」と呼ばれる教会のような講堂で行われる。仏教徒である夫は、良く「なんでまた、この学校に?」と聞かれたそうだ。とある授業のインストラクターからは、「君は、牧師向きの性格をしている」と言われたこともあるらしい。元来、人の良い夫の性格を知っている私にとって、それは納得できるのだが、それにしても、笑える話しだ。


  式が始まるまで、かなりの時間があり、私は一人、椅子に座って待つことにした。「サンクチュアリ」はかなり新しくて、奇麗である。観客席の長椅子はクッションが深く、かなり快適だ。ふと前を見ると、お祈り用の聖書が、前の椅子の背もたれの箱の中にあり、舞台の上には、ブルー系ステンドグラスに、大きく赤字の十字架が描かれている。夫の説明によると、この学校は「クリスチャン」で、「カトリック」では無いのだそうだ。日本人の感覚で言うと、カトリックも新教徒も「クリスチャン」で、そういう立て分けはおかしいと思うのだが、どうやらアメリカ社会で「クリスチャン」とは、一般的に新教徒を指すらしい。

  卒業式会場にやって来た人達の服装を見ていると、かなり興味深い。スーツを着た男性も入れば、ラフなジーンズ姿の人も居る。夫の話しでは、卒業生の中にも、短パンで登場した人がいるそうだ。こう言った「概念に捕われない」のが、アメリカ社会である。私は無難に、茶色のワンピースにピンク色のカーディガンを羽織った。花束や「卒業おめでとう」と書かれた風船を持参している人達を見て、夫の卒業祝いを何も用意していない自分に気付いた。

 卒業式は、オーケストラによる演奏から始まった。まだ沢山の父兄が、席に着こうと出入りしていたので、そのワサワサとしさ喧騒に、かき消されそうだった。しばらくすると、学長のような人の挨拶があり、私の右横の通路から卒業生達が入場し、私は夫を間近で見つけることができた。



 キリスト教系の大学だけあり、式の半分くらいは、「お祈り」や「賛美歌」という内容で、州立大学の私の卒業式とは、かなり違う。こうした違いを見ていると、自然と自分の卒業式を思い出す。私の卒業式で最も心に残っているのは、ある女性教授のスピーチだ。その教授は、「留学生の方は、立ってください」と言った。周りの英文学部のクラスメート達の視線をひしひしと感じながら、私はすっくと立ち上がった。英文学部の卒業生に留学生が居るのを知り、驚いた感じだった。
「彼らは言語の壁と戦いながら、ここに卒業を勝ち取りました。」
その言葉に、卒業生からも父兄席からも、嵐のような激しい拍手をもらった。それまでの言葉で表しきれない程の努力と苦労を、この時ほど、誇らしく思ったことはない。その教授のスピーチは、私の心の中に残り、これからも一生忘れることは無いだろう。

 夫の卒業式の中にも、素晴らしいスピーチがあった。「過去でもなく、現在でもなく、未来を見据えよ」という内容だった。この卒業で得られる未来。夫は会社の奨学金で大学に行き、卒業後も仕事を変えることなく、同じ会社で働き続けるので、卒業したからと言って、それほどの変化があるわけでもないと思っていたのだが、夫のクラスメートの中には、この卒業で、かなりの昇給をもらう人がいるらしい。夫自身は、「大学院にも行こうかな」と言っている。私が夫に出会った頃、彼が「大学院」に行くことを志望するなど、想像もしなかった。人生とは、本当にわからないものである。

 さていよいよ、卒業証書授与の為、卒業生全員の名前が読み上げられる。予行演習に行っていた夫が、「自分の名前は、最初の方で呼ばれるはず」と言っていたので、この段階に入って、私はそわそわし出した。夫の晴れ姿、シャッターチャンスを逃すわけにはいかない。そこで、図々しくも、通路側に出て、座ってシャッターチャンスを待つ事にした。そこまでしている父兄はいない。いやしかし、人目など構っていられる時ではないのである。夫の名前が呼ばれ、私は何度もシャッターを押した。しかし、薄暗い講堂の中の光だけでは、なかなかシャッターが切れず、もどかしかった。アメリカの大学の卒業式では、この名前を呼ぶのが最大のクライマックスで、名前が呼ばれる度、家族がどっと拍手するのはもちろん、中には楽器でジャンジャカ音を出す人もいる。なので、私も拍手くらいしたかったのだが、いや私の今の使命は写真を撮ることと思い出し、写真撮影に専念した。壇上左上にある大きなスクリーンに夫が映っている。どうにか学長の前にいる夫を写真に収めることに成功した。

 最後に卒業帽についているタッソルを、右から左に移すという儀式が行なわれる。これで正式に卒業したと言う印になる。そして卒業生退場。これで卒業式終了だ。


 私が外に出ると、夏のような太陽の光が眩しい、雲一つ無い快晴だった。講堂前は、沢山の卒業生とその家族でごった返している。私は夫を見つけようと、きょろきょろしながら階段を降りた。「いない、いない」と確認しながら、歩いていると、親戚一同に囲まれて写真を取られている夫を発見した。


夫の親戚は多い。「親戚」と呼ぶ範囲は、日本の私のものより、遥か彼方まで拡がっており、夫の母でさえ、「え~、あの人の名前なんだったけ?」となるほど、親戚の寄り集まる機会には、沢山の人々が訪れる。そこで、この日も多くの親戚が集まった。(これでも全員勢揃いでは無い。)代表的な人々を紹介すると、


と、妻の私はどうでも良いのだが、


夫の姉の二人の娘達。二人ともかなり可愛い。(と、叔母の私は思う。)



髪の毛をヒラリンとしているのが、夫の姉で、その横は母。私はこの写真、絶好のシャッターチャンスだったと思っている。



光の具合が結構気に入っている、パパさんの写真。なんだか映画の一シーンのよう。



彼女のFacebookに"My super model!"と私が投稿した、姪の写真。彼女の将来は、とても楽しみ。



喜びいっぱいの両親。これは良い写真だと思う。

こうして卒業式は終了し、大学キャンパスを後にした。