2010年4月18日日曜日
ボストン・フリーダムトレイルの旅8 オールド・サウス集会場
私がこの辺りで勘違いをし、公立学校のモザイクが見つけられず、その結果、この先の「旧マサチューセッツ州会議事堂」と、その建物の前にあるはずの「ボストン虐殺地跡」も見つけられなかったのには、私なりの理由がある。この小さな一角には、「オールド」が付いた場所が多すぎるのだ。ガイドブックにある写真は、どれもブロック造りで、同じように見える。モザイクが見つけられなかった私は、この「オールド」づくめで頭の中がかなり混乱しており、どれがどれだか、わからなかったと言うのが事実だ。しかし、この写真にはしっかり「Old South Meeting House」と書いてある。なので、私達がここに行ったのは、間違いない。
建物の中に入ると、博物館があるらしく、受付でチケットを買わなければならなかった。ここのチケットは5ドルだが、同じフリーダムトレイルにある「ポール・リビアの家」に入るチケットとあわせて買えば、8ドルだと言う。私は「ポール・リビアの家」のチケットも5ドルだと思い(確かにその受付嬢は5ドルだと言った!)、10ドルが8ドルになるならお得だと思ったが、あとでポール・リビアの家に行った時、そのチケットは3ドル50セントだとわかった。
博物館の中は写真撮影禁止だったので、私は写真を撮らなかったが、私が見たアメリカ人のビデオでは、こっそり撮影されていた。彼はそれを「ゲリラ作戦」と呼んでいた。そんな勇気のない私は、ミュージアムの土産物売り場で、ポストカードを買うにとどまった。中は白色で統一されており、中央の演壇前には、長椅子がたくさん置かれていた。この頃の集会場の特徴なのか、各ベンチは、ボックスで囲まれている。今回、フリーダム・トレイルの一つ「オールド・ノース教会」の中にも入ったが、そこも同じように、一つ一つのベンチがボックスで囲まれており、ちょっとした個室気分なのである。
私達が中に入った時、小学生を相手に、講義が行われていた。説明していた若い女性によると、ここでは大きな声で話した者勝ちだったらしく、その光景を再現するのに、小学生達に大きな声で叫ばしていた。このデモンストレーションは、毎回行われるらしい。ここでは愛国者達が、イギリス政府に反逆するための会議が行われ、その中の一つが「ボストン茶会事件」に発展した。ということは、アメリカ独立のための話し合いが行われた、歴史的に大変重要な場所だ。その当時のアメリカ国民は、イギリス政府がかけた高い税金に苦しみ、税金を払わなければ、仕事ができないなど、重い刑罰が科せられたのである。こうしてアメリカ建国の歴史を学ぶにつれ、独立するのはどれだけ大変なことだったのだろうと思う。アメリカがかつて植民地で、他国からの支配に苦しんだなどというのは、今の私達の生活からは想像もできないが、この頃の人たちが行った努力を忘れてはならないと思う。
この集会場は一階が博物館になっており、地下に土産物屋がある。私はこのショップでポストカードを買ったが、レジをしていた女性が、「郵便局をお捜しですか?」と言う。私はそのポストカードは自分用にと考えていたのだが、他の手紙を出さなければならなかったのは事実だった。
「郵便局は、そのドアを出た所にあります。その近くにベンジャミン・フランクリンが生まれた場所もあるので、行ってみてはいかがですか?」
彼女のアドバイスに従い、カンザスシティーから持ってきた手紙を郵便局で投函し、さて、ベンジャミン・フランクリンの生家を探そうとした。しかし良くわからない。更に困ったことに、建物の正面玄関からでたわけではないので、フリーダムトレイルの赤い線が引かれていない。しかし、私達が出てきた集会所の裏側のドアから、また中に入ることができない。そうである。私達はここで、迷子になったのである。
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