2012年10月10日水曜日

ユリカスプリングス・ダウンタウンの銀行


 ツアーガイドが私達を連れて行ったもう一つの場所が、この銀行。不覚にも銀行名を記録していないのだが、歴史地区ダウンタウンのど真ん中にある。この銀行は、銀行として全ての機能を果たしているわけではなく、小切手の発行とか、簡単な作業だけをしているとのこと。



 この建物内は、私達のような観光客に公開しているらしく、中にはアンティークな代物が沢山あった。




 ガイドが執拗な為、電話をかけているポーズをさせられた。




事務所の後ろには、昔の町の様子を描いた壁画があった。


アーカンソー州ユリカスプリングス3:クレセントホテル


 小雨降る中、次に私達が訪れたのは、「ゴーストツアー」が行なわれる「クレセントホテル」だ。このホテルはユリカスプリングスの山頂に位置し、町全体を見下ろしている。ハネムーンのメッカだそうで、幽霊騒動にもかかわらず、ここで結婚式を挙げる人も多いらしい。車から数枚写真を撮った後、私達は車を降りて、いよいよこの「アメリカで最も呪われたホテル」に足を踏み入れた。



1886年に建設されたこの建物は、最終的に現在のようなホテルとなるまでに、いくつかの所有者を経て、その役割を変えている。1908年には、若い女性の為の大学となった。



 1930年代にこの建物から若い女性が飛び降り自殺をし、その近辺では若い女性の姿を見た人がいるらしい。

  1937年、ノーマン・ベイカーという富豪がこの建物を買い占め、お金持ちのためのリゾートホテル及び病院として開設した。ノーマン・ベイカーは医者の免許が無いにもかかわらず医者と名乗り、ユリカスプリングスの泉の水で癌等の難病が治ると、嘘の宣伝をする。この為、ベイカーは4年間刑務所に送られることになったが、ベイカーが病院を開いていた時代、沢山の患者が亡くなっているそうだ。




 「クレセント」とは、「三日月」という意味である。
 



 1946年、現在のように、ホテルとして再オープンする。上の写真は一階ロビーにある受付カウンター。黒光りするカウンターはオリジナルなのか、随分重々しく、いかにもゴーストホテルの受付カウンターという感じがした。




 ガイドは確か、あのピアノが呪われていると言っていたと記憶する。




 にこやかに笑っている私達の横にある三日月型のオーナメント、ガイドによると、これもまた「呪われている」そうだ。私にはちっとも見えなかったが。



泊り客でない私達は、もちろん上の階に上がりはしなかったが、このホテルで、最も呪われているのは、218号室ということだ。なんでも、この建物を建設した者の一人、アイルランド人の石工Michael が218号室から転落し、死亡した。彼のゴーストが宿っているのか、この218号室では、怪奇現象があるという。勇気のある人は、YouTubeをどうぞ。(と思い、YouTubeビデオをここに貼ろうとしたら、私のマウスが動かなくなった!もしや、ゴースト・マイケルの仕業か!と思ったら、マウスの電池が切れて、充電必要。しかしこんな小さなことでビビッている私は、ここに載せることを辞めます!ご自分でGoogleしてください!)


はぁ~、後味がわるいので、外の美しい花で、お口直し。




 ゴーストツアーは、このホテルで毎夜開催中。勇気のある方は、どうぞチャレンジを。

2012年10月5日金曜日

アーカンソー州ユリカスプリングス2:ソーンクラウン・チャペル



前日、地元情報誌で見つけたツアーガイドは、大きな帽子を被り、白の水玉が入った赤いワンピースを着て登場した。その日に集った観光客は、私達夫婦だけだったので、彼女が運転してきたバンを、私達夫婦が貸し切ったと言う訳だ。「カメラマンは、前が良く見えるこちらの席を」と言うので、私が助手席に座り、夫が後ろの席に着いた。この町の歴史を語りながら、彼女が最初に私達を連れて行った場所は、「ソーンクラウン・チャペル」だ。「ソーンクラウン」とは、「イバラの冠」という意味。その名に相応しく、ガラス張りの建物は、菱形格子が美しい木製枠によって繋がっており、その様はキリストが被った「イバラの冠」のように見える。オザーク高地の風景に馴染むようにと、枠には地元の木材が使用された。この建物をデザインしたのは、フランク・ロイド・ライトに弟子入りしたフェイ・ジョーンズで、数多くの賞を受賞している。




 ガイドが「チャペル内で写真を撮る時は、座っていなければならない」と言うので、着席して写真を撮った。インターネットで良く見るように、中央から写真を撮る事ができなくて、残念だった。

 

 チャペルと教会の違いは良くわからないが、この建物の中には重々しいキリスト教聖人の人形や絵画等は、全く無かった。ガラス張りの建物内に椅子が並んでおり、十字架に穴が開いた木製の灯籠が、壁に掛けられているだけだ。




 随分シンプルで、想像していたより、かなり小さかった。このチャペルでは結婚式が行なわれるようで、私の同僚の友人が、ここで結婚式を挙げると言っていた。

2012年10月4日木曜日

アーカンソー州ユリカスプリングス1:ホテル到着


 鍾乳洞と滝を見学し、私達はようやくユリカスプリングスに向け、出発した。ユリカスプリングスは、美しいビクトリア朝建造物が残る、アーカンソー州北西オザーク高地の町だ。19世紀に泉が発見され、お金持ちの保養地として開発されたようだ。最後の鍾乳洞があったオザーク国立森林から2時間くらいのドライブで着いた。町に着いて、まずしなければならない事は、ホテル探しだ。私達が運転して来たハイウェイ62の両脇には、ホテルが林立している。一通り、町の様子を見てからホテルを決めようと、ホテル地区を通り過ぎ、ダウンタウンまで行った。そこは沢山の観光客で溢れており、所々にB&Bらしき建物が見える。しかし「こういった観光地のB&Bは、べらぼうに高いのよ」という私の言葉で、最初に見たホテル地区に戻ることにした。

ホテルが林立する道路にあった「Motel 62 Highway」というホテルに入る事にする。なんだかネーミングが全国ホテルぽかったし(実際は違うのだが)、外観は清潔そうである。看板の下に「AARP」の文字があるところを見ると、老人向けの特別割引を設けているようだ。試しに入ってみると、一泊49ドルと言う事で、部屋を見学しても良いという。そこで鍵を渡された部屋に行ってみると、とても清潔で居心地良さそうだ。そこで「この部屋に決めよう!」とフロントに戻ると、マネージャー兼オーナーが、「たった20ドルプラスすれば、ジャグジー付き部屋が得られますよ」と、やたらとその部屋を勧め(多分、私達が夫婦であった為だろう)、また鍵を渡し、見に行って来いと言う。私個人としては、最初の49ドルの部屋で充分だったが、まあ、勧められたまま、見学に行く。

 ドアを開けると、まずリビングルームがあった。基本的に私が最初に見た部屋と似ていたが、そこにベッドは無かった。そして奥にジャグジー風呂が見える。そして同じ部屋に、キングサイズベッドがあった。ベッドルームの中に風呂があるのか。なんだかその配置が、私には変だった。ベッドルームに湯気が立ち込めるのは、なんだか蒸し暑そうだ。それについ最近、テレビのニュースで、「ホテルの風呂には、ばい菌がいっぱい! 入るのは賢明じゃありません」と、どこかのドクターが言っていた。なので、そのジャグジー風呂に、浸かる気にはなれない。以上のような事を夫に述べ、「だから、私はあの49ドルの部屋で良いわ」と言った。それでまたフロントに戻り、「49ドルの部屋にする」と言い、やっと鍵を貰った。

 その同じ受付カウンターで、町の情報が載っている地元の新聞やパンフレットを漁った。夫が宿泊手続きをしている横で、私はその地元情報誌をペラペラめくり、「ホテルゴーストツアー」を見つける。事前調査をあまりしなかったユリカスプリングスだが、「幽霊が出るホテル」がある事を、私は知っていた。そこでフロント係に、このゴーストツアーについて聞いてみると、「ああ、それは大変人気のあるツアーです。チケットはすぐ完売になってしまうので、早めに行った方が良いですよ」と言う。夫に聞くと、「行っても良いけど」と言うので、部屋に行って準備することにした。 



 バッファロー・ナショナル・リバーの州立公園内キャビンと違い、ここにはテレビもあるし、WiFiもある! 久しぶりにテレビが見られることが、嬉しかった。「ああ、現代テクノロジー」と、しみじみ。テレビには、私が見ていた「America's Got Talent」のフィナーレが映っていた。家に帰れば予約録画したものが見られるのだが、ついつい見てしまい、誰が優勝したのかわかってしまった。私が予想した人では無かったので、驚いた。

 さて、「ゴーストツアー」だ。WiFi有りの環境は久しぶりで、喜んでコンピュータを繋げ、インターネットに乗る。このユリカスプリングスには、幽霊が出ることで有名なホテルが二軒あり、そのどちらもで、ゴーストツアーがあるという。しかし受付係が、「8時から」と言っていたのに、インターネットでは7時になっている。これでは、到底間に合いそうに無かったので、その夜のゴーストツアーを諦め、ホテルでゆっくりすることにした。フロントで貰った情報誌を読み漁り、翌日の朝、ガイド付きツアーに参加し、町の様子を良く知ってから、その後個人で巡ることにした。

 さてさて、私はこの「幽霊の出るホテル」に、大変興味があった。それでその中の一つ「クレセントホテル」を調べてみると、ゴーストハンター達が最新の機械を導入して、幽霊をセンサーで感知させたテレビ番組が、YouTubeにあった。その短いビデオには、確かに男の人影がはっきりと映っていた。「クレセントホテル」は、「アメリカで最も呪われたホテル」と呼ばれているらしい。これは、ぜひとも行きたい!期待大である。しかし一方、夫は「え、そんな所には行きたくない」と、マジで怖がっているようだった。

 その夜、たまたま心霊能力者と実際の調査をする元刑事によるテレビ番組を見た。番組の構成はこうだ。番組に、「我が家は幽霊が出る。一度調べて欲しい」という依頼が寄せられ、心霊能力者と元刑事がその家を訪れる。しかし、彼らは調査段階ではお互い話をせず、全く別行動で調査する。心霊能力者は、家に住み着いている幽霊達と話し、元刑事は町の図書館やいろいろな場所で実際に存在する書類や新聞を徹底的に分析し、その家に関する歴史を割り当てる。番組の最後で依頼者、心霊能力者、元刑事が一つのテーブルに着き、まず心霊能力者が、彼女が感じた事を述べる。すると、大きく頷く元刑事が、心霊能力者の証言が正しいことを証明する証拠を取り出すのだが、それは恐ろしいほど、正確なのだ。私は日本に居る時、心霊写真など、全く信じなかった。「そんなの、光の反射じゃないの」と、馬鹿にしていたほどだ。多分、私がテレビで見た写真は、きっと偽物だっただろうが、アメリカに来て、「サイキック」と呼ばれる人達が、実際に警察と一緒に働いて殺人事件を解決しているという事実を知り、「世の中には、本当に幽霊と話しができる人がいるんだ」と、彼らの能力を信じるようになった。これは宗教とかオカルトとか、そんなものでは無い。科学的にきちんと証明されているのだ。自分にその能力が無いからといって、他人の能力を否定はできないはずだ。

 まあとにかく、その夜、「呪われた家」に関わる背景を探り当てる番組を、興味津々、「次は何?あ~、早く知りたい!」とコマーシャルの間も待てない私を見て、「そんなにゴーストに興味があるとは、知らなかった」と、信じられないような顔をしながら夫が言った。普段はホラー映画とか、ギャングスターの血みどろ残虐映画は平気で(喜んで)見るのに、なんでゴーストは怖いのよ~と、私は思った。こうして私の夜は、ゴースト漬けで更けていった。

 朝になった。もちろん、私は幽霊に取り付かれているわけも無く、清々しい目覚めだ。前日、連泊することを決めておらず、「もしかしたら、他のホテルに行くかもしれない」と言っていた私達は、フロントに「もう一泊したい」旨を伝える必要があった。それで、朝食を取りに行ったついでに、昨日会ったマネージャーに、「今の部屋が大変気に入り、もう一泊したい」と言うと、嬉しそうな顔をして、「どうぞ、ご心配無く。ゆっくり寛いでください」と言ってくれた。このオーナー、とても良い人である。ホテルも清潔だし、値段も安いので、大いにお勧めだ。

Motel 62 Highway:
http://www.theeurekaspringsmotel.com/

ブランチャード・スプリングス・レクリエーション・エリア


 鍾乳洞は、「オザーク・ナショナル・フォーレスト」の一部、「ブランチャード・スプリングス・レクリエーション・エリア」の中にある。鍾乳洞の見学を終えた私達は、「どうせだから、ついでに寄っていくか」という軽い気持ちで、このレクリエーションエリアにも足を運ぶ事にした。車を走らせると、すぐに「Mirror Lake」というサインがある。「ここには湖があるのか」と、私達は車から降りることにした。木製のちょっとしたトレイルがあり、そこから、上の写真にある「ミラー湖」が見えた。「鏡」というだけあって、緑の水面に周りの木々が映っていた。なんだか吸い込まれてゆくような森林。見ているだけで、全てが清められる気がする。


 桟橋の先には、釣り人が居た。


ミラー湖の終わりは、「ミラー湖ダム」だった。



 車に戻って、更に奥に行くと、ロータリーになっていて、車が行けるのはそこまでだった。そこで夫は、「ピーナッツバター&ジェリーサンドイッチを作って食べよう!」と言う。これがどんな代物かと言うと、上の写真の夫が「手モデル」している「ピーナッツバター」と「グレープのゼリー」を食パンに塗って、挟んで食べるサンドイッチである。日本のジャムパンのようなものと言えば、かなり近いと思う。意気揚々と夫が作ってくれたサンドイッチを、石の壁に寄りかかって食べた。(お昼ごはんの時間だったので。)こうして密かにピクニックをしていると、さっきの鍾乳洞見学にいた人達が、その先にあるトレイルから帰ってきた。そこで、この先には何があるのか聞いてみると、「ブランチャード・スプリングスの源泉である滝がある」という。そこで、サンドイッチを食べ終え、そのトレイルを歩いてみることにした。




行き止まりには、小さいが聞いた通り滝があった。



 基本的にこの地方は、こういった岩の壁が多い。この後、また車に戻って、今度はキャンプ場の方に行った。ミラー湖ダムの先は川になっており、多分その川なのだと思うが、その川の周りがキャンプ場になっていた。近くに行くと、人が泳いでいるのがわかる。私達が滞在したバッファロー・ポイントは、結構閑散としていたのに、このキャンプ場は人気が高いのか、多くのテントやRVがあり、驚いた。結構狭い場所にギュウギュウ詰めといった印象を受けた。テントの周りでバーベキューをしている人が、沢山居る。中にはギターを弾きながら、歌を歌っている人もいた。なんだかヒッピーな場所だと思った。


 岩の絶壁が美しい。この壁、結構巨大である。

 こうして一回りレクリエーションエリアを見学し、ユリカスプリングスに向けて出発した。

ブランチャード・スプリングス鍾乳洞


 バッファロー・ナショナル・リバー付近の州立公園、バッファロー・ポイントのキャビンには4泊する予定だったが、夫が「ここでできる事は全てやり尽くしたから、ユリカスプリングスに出かけよう」と言う。そこで一日早くここでの滞在を切り上げる事にした。キャビン管理者オフィスに行き、予定より一日早く出かける事にしたが良いかと聞けば、何も問題は無いと言われた。


宿泊代の清算を済ませ、ユリカスプリングスに出かける前に、ガソリンを補給しようと、公園近くのワイルド・ビルズ・アウトフィッターに寄った。給油機はかなり年代物のアンティークに見え、私は写真を撮った。「キャッシュカード支払いの場合、3パーセント高」の張り紙を見た夫は、「なら現金で払おう」と、店の中に入る。そして戻ってきた彼は、「さっき店員と話したら、『鍾乳洞は絶対お勧めだ。そんじゃそこらで、見られる代物じゃない』って言うんだよ。この道の先にあるそうだから、行ってみるか」と言うのである。そこで私達は乗馬に行く為前日通った道をひたすら辿り、看板がある角で曲がった。


 道中、州立公園のパークレンジャーオフィスで貰ったパンフレットを私が読み上げた。大きな一枚の紙を折り畳んだそのパンフレットは、どこから読み始めれば良いのか良くわからず、私は目に映った「ワイルド・ケーブ・ツアー」を声に出して読む。

「この最新コースは、まだ未開発部分の洞窟にお連れいたします。参加者は健康な方で、踵に支えのある丈夫なブーツ着装が必要で、急な坂を登ったり、天井が低い所を通って、肘、膝をついて地面を這ったり、泥だらけになる覚悟をしてください。」

ななんと、「ワイルド」と言うだけあって、そんな事をするのか。なんだか気が退いた。しかし夫はその言葉に、「それこそ自分が望んでいたもの!」と大喜びである。

「ワイルドツアーは要予約で、4月から10月まで毎日開催。」

え、予約が必要?パンフレットには立派な建物に沢山の観光客が写っているのに、そんな制限されたものなのか?その日に立ち寄っただけでは、誰も居ないのか?今から電話しなければならないのか?しかし横の欄を見ると、「鍾乳石トレイル」というのがある。

「このトレイルでは二つの大きな部屋を見学します。短く、初心者コースのこのトレイルは、車椅子の走行可能。」

なんだ、って事は、車椅子でも入れる初心者コースがあるんじゃない。これだったら、私でもできると安心した。

 こちらは国立公園の管轄なのか、同じアーカンソー州の田舎でも随分整備されている。最初に入ったインフォメーションセンターは、新しく清潔な建物である。ああ、清々しい。チケットは大人一人10ドルだった。ツアーの時間まで少々待った。私が赤い水のボトルを持っていると、スタッフの一人が「その水は医療用の物ですか?」と聞いてくる。もちろん、そんな物では無いがと言うと、「水の持ち込みは禁止されていますので、受け付けに預けておいてください」と、にこやかに言われた。鍾乳洞には、外界からなるべく物を持ち込まないように努力しているようだ。

 ツアー時間になり、ガイドが登場した。制服を着たそのガイドは、まず客達に出身地を言わせた。ルイジアナ州、テキサス州、ミシシッピー州と州外から来ている人が多かった。私はこの鍾乳洞について全く前知識が無かったので、そうか、そんな有名な所だったのかと思った。そして、外界から物を持ち込まないように、洞窟の壁に触ることは禁止など、注意事項を述べた。


 エレベーターに乗り、いよいよ洞窟探検開始である!エレベーターから降りると、大きなガラス張りのドアが二枚ある。一枚目のドアを開け、観光客が全員入り切ったところで後ろのドアを閉め、次に二番目のドアが開けられる。これも外界からの影響を妨げる為だろう。



 しばらく通路を歩くと、大きな鍾乳洞が目の前に広がっていた!まるでテーマパークに突入したような気分というか、外の世界とは全く別世界で、大きな空洞にニョキニョキと何万年もかけて成長した鍾乳石が、上からぶら下がっていたり、地面から突き出したりしている。こんな光景を生で見るのは初めてで、圧巻であった。自然の力は偉大である。「車椅子の走行可能」と言っていた通り、歩く場所は全て舗装された通路である。しかし場所によっては随分急傾斜で、濡れている。こんな所を車椅子で通るには、頑強なアシスタントが二人がかりでしっかり持っていないと、車椅子が暴走して大変危険である。洞窟の中は夏でもひんやり冷たく、所々にライトが設置されていた。中を歩くには、ハイヒール等は避けた方が良いだろう。



 私達のガイドはユーモアのある面白い人だった。この鍾乳洞の歴史や鍾乳石について説明してくれたが、その中で私が一番覚えているのが、上の写真中央にある白い部分。確かに船の形に見える。これは「タイタニック」と名付けられているそうだ。




 このトレイルの全てを見終わると、外で待っていたバスに乗り、最初のインフォメーションセンターに送ってもらった。それ程歩いたわけでは無いと思ったが、山の反対側に出るのか、随分長い間乗ってやっと到着した。今回のバッファロー・ナショナル・リバーの旅では、初めてのことに沢山挑戦したが、鍾乳洞に行くのも、私にとって初めてだった。外の世界とは、全くの別世界が地下に存在することを知れて、随分有意義な旅であった。