2010年3月29日月曜日

メンフィス到着、キング牧師を想う



アーカンソー州のモーテルを出、青空の下、テネシー州メンフィスを目指す。前日カンザスシティーからアーカンソー州までぶっ続けで運転した夫は、「今日は君の番ね」と運転席から離れ、タバコを吸いだした。仕方がないので、渋々運転席に移り、目を細めてタバコを吸っている夫を見ると、彼は「とってもセクシーだねー」と言った。こういう感覚が良くわからず、こういう時、私は夫がアメリカ人だと思う。

フォードの運転席は、私のサタンよりかなり小さく、ずいぶん窮屈な感じがした。私がアメリカで初めて手に入れた車はフォードだったが、こんなに窮屈だっただろうか。慣れないレンタカーでありながらも、澄んだ青空の下、どこまでも続く一本道を運転するのは、気持ちが良かった。

メンフィスが近くなると、「シモーン」ことGPSが、途端に目覚めたように、指示を出し始める。「左側に残ったまま、I-55を突き進め」とか、「次の出口で、I-40に行け」とか、やたらと命令口調である。しかし彼女の指示のおかげで、"Welcome to Tenneessee"という看板を橋の上に見つけ、その先にはメンフィスのダウンタウンが見えた。しかし、あまり準備をしていなかった私たちは、メンフィスのどこに行けば良いのかがわからず、しばらくダウンタウンの中をうろうろしたり、どこか全くわからない住宅街に行き着いた後、車を止めて行き先を決めることにした。夫は「この先は運転する」と言って運転席に移り、携帯のインターネットでメンフィスの観光情報を捜し始めた。私はもしかしたらメンフィスに行くことになるかもしれないと思っていたので、旅行前、折りあるごとに日本人が書いたブログを読んでいたが、その中で一番行きたいと思ったのが、マーティン・ルーサー・キングが射殺されたモーテルにある博物館だった。夫は、数年前に出張でメンフィス近郊の都市に来たことがあり、その時メンフィスの「ビールストリート」に行ったので、そこにもう一度行きたいと言ったが、行き方が良くわからなかった。彼が調べ物をしている間、前日からの残り物のサンドイッチとオレンジを後部座席から探し出し、夫と一緒に食べることにした。なんだか、路上駐車ながらもピクニックといった感である。新鮮なオレンジがおいしい。旅の途中の迷っている最中でありながらも、なんだかのどかで、二人だけの時間だったので、良き思い出となった。

結局、観光情報を提供するインフォメーションセンターにまず行こう、ということになり、GPSを開始し、ダウンタウンに向けて私たちは走り出した。インフォメーションセンターは、ミシシッピー川のすぐ近くにあったが、駐車場を見つけることができず、路上駐車をした車に私を残して、夫は建物の中に走っていった。夫がいなくなった車の横に、「コットン博物館」という看板があるのが見えた。どうやら近くにあるようで、テネシー州の綿花ビジネスについて学べる博物館のようであった。時間があれば行きたいが、今回は多分行くことは無いだろうと思った。


Beale Street





















「知識は力なり!」と、インフォメーションセンターから車に戻った夫は言う。「ビールストリートはこのすぐ近くだよ」と言うので、とにかく彼が行きたかったビールストリートに行くことにした。観光局で教えてもらったとおりに行くとすぐに、「BBKing」の大きな看板が目に入る。途端にウキウキする。ブルースを育んだビールストリートには、「伝説の人」と呼ばれるブルース演奏者達が演奏するライブハウスがたくさんある。夫はかなり興奮していた。ここでも駐車場を探すのに困るが、くるくる回っていると、通行止めになっている所を開けて、「ここに止めたらいい」という老人がいた。「ここに止めればただだが、ホームレスを助けるために1ドル寄付して欲しい」と言われ、彼に1ドルあげることにした。そこに駐車することは100パーセント安全ではなく、駐車違反のチケットを貰う状況になるかもしれなかったが、「まあ賭けだよね」ということで、とりあえず、ビールストリートを歩くことにした。





しばらくビールストリートを歩いた後、やっぱり一番有名な店は外せないでしょう、ということで、「B.B.King」のブルース・クラブに入ってみることにした。私はお腹が空いていなかったが、カウンター席に着いた夫は、早速バーベキューのリブやらベークド・ポテトやらが入ったメニューを、ビールと共に注文した。カンザスシティーはバーベキューで有名だが、メンフィスもバーベキューで有名で、ここのリブもおいしかった。その他にピクルスのフライと、チキン・ウイングも皿の上に載っていた。店の中央にはブルースを演奏するステージがあったが、私たちが入った時間帯には、演奏は無かった。夜になると入場料に5ドルかかるらしい。昼間の店内は、おしゃれなレストランといった感じで、なかなか良い感じだった。


B.B.Kingの店を出てすぐに、路上に埋められた銀色に光る音符を磨いている人がいて、夫に話しかけてきた。私一人であれば、あまりこういう人と話はしないが、夫と一緒にいると、何かと一人では決してしない経験をよくする。その人の話によると、そこの店で音符に刻まれた名前の主、Clyde Hopkinsに会えるというのである。


「彼は伝説のブルース奏者だよ」という言葉に乗せられ、ビデオカメラを持った夫はそのまま店の中に入り、Clyde Hopkinsを取材し始める。握手を求め、その店でCDまで買った。Clyde Hopkinsは、とても小柄な人の良さそうなおじいちゃんであった。何でも、オバマ大統領にもうじき会いに行くという話だった。本当かどうかは良くわからないが、ビールスストリートに名前が刻まれるほどの人なのだから、やっぱり有名人なんだろう(いやいや伝説の人なのだろう)と思い、記念写真を撮らせてもらった。おじいちゃんも(いやいや伝説のブルース奏者Clyde Hopkinsも)、なんだか得意げにポーズを取ってくれた。


National Civil Rights Museum at the Lorraine Motel





ビールストリートを後にし、いよいよ私が行きたかった「National Civil Rights Museum」に向かう。ここは、アメリカ公民権運動の指導者「マーティン・ルーサー・キング」が射殺された場所である。彼は、「ゴミ回収者の労働条件がひどすぎる」と、当時問題になっていたメンフィスに、デモ行進をしにやってきたのだった。このモーテルに宿泊し、その夜、地元の黒人公民権運動の中心者であったBilly Kylesの家でのディナーに行くため、モーテルの部屋を出たところ、この「306号室」の前で、銃弾に倒れる。それはJames Earl Rayによって、向かいのアパートから発射された一発であった。キング牧師は、その前にも脅迫を受けていたようで、メンフィスにある教会でのスピーチでも、大きな音にびっくりして後ろを振り返ったという。

「私も、他の誰もが思うように、長生きしたいと思います。」

キング牧師が射殺される前日に発せられたこの言葉は、彼が暗殺されるのを予感していた事を、感じさせるものである。1968年4月4日、マーティン・ルーサー・キングは39歳で生涯を終える。彼の最後が、「ゴミ回収者を助けるため」であったのは、彼の崇高な人生を凝縮していると思う。

博物館の中は写真撮影禁止であったため、写真は撮らなかったが、アメリカ公民権運動の歴史が学べる、内容の濃い展示物で満載であった。まず初めに、マーティン・ルーサー・キングが射殺された背景を描いたドキュメント「The Witness From the Balcony of Room 306」を鑑賞する。その後、個人で展示物を見て回るのだが、私たちは音声ガイド付きのチケットを購入したので、ヘッドフォンをつけて歩き回った。展示の内容は、私が個人的にとても興味があるアーカンソー州リトルロック市の「セントラル高校の危機」、アラバマ州モントゴメリー市の「バスボイコット運動」など、公民権運動の歴史が説明されている。私が知らないこともたくさんあり、アメリカの公民権運動に関心を持っている私にとって、大変有意義で重要な経験になった。


再びビールストリートへ


公民権運動博物館を出ると、辺りは暗くなり始めていた。晩ご飯を食べる時間帯になっていたが、さて次はどこに行こうか、といった感じである。昼間、ビールストリートであったもう一人の「伝説のブルース奏者」(こう何人も「伝説の人」がいれば「伝説の人」と言えないのではないかと思うのだが)は、確か7時半くらいにB.B.Kingの向かいのお店で演奏をすると言っていたので、夫はそれに行きたいと言っていた。その時間にはまだ早く、晩ご飯を食べたい。インフォメーションセンターで貰ったガイドブックを開き、良さそうなレストランを適当に選び、GPSを開始して運転し始めるが、どうもどこにあるのか良くわからない。なので結局「ビールストリートに戻ろう!」ということで、またダウンタウンに戻ることにした。ここでまた困るのが、駐車場である。この日は地元のバスケットボールの試合がFedexForumという所で開催されているらしく、町中、車で込んでいた。やっと「10ドル」という看板を持っている駐車場誘導者を見つけ、その人が指し示す場所に駐車する。ビールストリートからは少し離れていたが、歩けない距離ではない。しかし風が冷たく、ずいぶん寒いのがつらかった。

夫が行きたかった店は「Blue City Cafe」で、後でインターネットで調べてみると、ずいぶん有名人がたくさん訪れた店らしい。演奏者もさることながら、お客としてきた人達の中には、クリントン大統領や、俳優のトム・クルーズ、ロバート・デニーロなんて超有名人の名前がリストにずらりと並んでいる。店の中には有名人の写真がたくさん飾ってあった。昼間のBBQや揚げ物がまだ消化されていなかったので、またこってりしたものは食べたくない。しかし、どうやらメンフィスでは、それがとても難しいようだ。メニューをみると、BBQか揚げ物ばかりである。しかしよく見ると、翌日行く予定のニューオリンズ名物「ガンボ」が、メニューに入っているではないか!これしかないと思い、迷わず決めた。夫は確か「ビーフシチュー」を頼んだと思う。ガンボは、おいしかったが、この後行ったニューオリンズで食べたものより、「うまみ」が足りなかったような気がする。「これなら私にも作れる」と思えるような味であった。しかし、おいしいことには変わりない。

食事の後、隣のバーに移り、いよいよお待ちかねの演奏が始まるのを待つ。ここで夫はビールを頼み、私はコーラを飲んだ。かなり待った後、ブルースの演奏が始まったが、私個人の意見を言えば、あまり感動しなかった。なんだかおじいちゃん達(と言っちゃ悪いが)が、だらだら演奏しているだけで、「気合が足りない」という感じなのである。基本的に私は「ブルース世代」ではない。ブルースとジャズの違いも良くわからない。こんな私にブルースについて語ることは不可能である。


このバーを出た後、もう一軒、他のバーに行った。これはアメリカによくある「アイルランド系」のバーで、そこに出演している女性シンガーは、「グラミー賞」だかなんだかに(芸能関係の話はあまりよく知らないので)ノミネートされたそうで、ずいぶん迫力のある歌いっぷりだった。私個人としてはこっちの方が100パーセント好みで、最初っからこの店に来れば良かったと思った。お店の名前は「Silky O'Sullivan's」という。ブルース以外のお店に行きたいなら、ここはお勧めである。彼女の後、ピアノのデュオがあったが、これもすごかった。メンフィスに行く機会がまたあったら、ぜひ行きたいと思う。

この後、ホテルを決めるのにまた問題発生だが、(詳しくは言えません!)結局「Red Roof Inn」というホテルに決めた。ここは確か64ドルくらいで、前日のアーカンソーのDays Inn に比べれば、はるかに快適であった。こうして、メンフィス初日は過ぎていった。

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