2010年4月20日火曜日

ボストンから、グレイハウンドでニューヨークへ!




2009年6月11日

フリーダムトレイルを終えた翌日、私たちはグレイハウンドというアメリカ全土を走る長距離バスに乗って、ニューヨークまで行かなければならなかった。午前中、もう一度ハーバード大学に戻って見学をしようと、前日は言っていたのだが、朝起きてみるとそんな余裕は無く、直接グレイハウンドのバス乗り場に向かう。重い荷物を抱え、ホテルのすぐ裏にあるバス停で地元のバスに乗り、地下鉄の駅に行った。前日買った一日券は、24時間有効らしく、まだチケットを買うことができた。地下鉄に乗り、グレイハウンドの駅がある「サウスステーション」に向かう。地下鉄を降りた所で、そばにいた女性にグレイハウンド駅への行き方を聞いたら、大変丁寧に教えてくれた。「サウスステーション」は地下鉄と、グレイハウンドと、長距離列車のアムトラックが集結する総合駅だった。バスに乗るにはまだ時間があったので、アムトラック駅前のコンコースで昼食を取ることにする。一旦バスに乗ってしまえば、食事を取ることはできない。

サウスステーションのコンコースは天井が高く、たくさんのテーブルの周りには、旅行客相手のレストランがあった。大抵は急ぐ旅行客のためか、すぐに準備ができるファーストフードか、サンドイッチなどのデリが多かった。私たちはチキンの試食を客に配っていたカリビアンスタイルの店から、コンボを注文した。白い携帯用の箱に入った食事を持って、旅行客が行き交うコンコースに戻り、テーブルに着く。そこは空港のような雰囲気だった。スーツケースを持つ旅行者が、周りを歩いてい行く。ここに来て、ボストンには背が高い人が多いと思った。私の夫は2メートル近くあり、彼より背が高い人に会うことは滅多に無いのだが、サウスステーションを歩く人の中には、夫より背が高い人を見かけた。

食事も終え、いよいよグレイハウンドの駅に行く。歩いている途中で、窓から中華街の門が見えた。そういえば、ニューヨークに住む日本人女性のブログで、ニューヨークからボストンまで中華街から激安のバスが出ていると書いてあったなと思い出した。ニューヨーク・ボストン間を15ドルで旅行できるらしいが、私たちが利用したグレイハウンドも、ボストンからニューヨークまで一人15ドルだったので、グレイハウンドも捨てた物ではない。それにボストンでは、バス停も同じ場所にある。エスカレーターを上がり、グレイハウンドのチケット売り場に行けば、隣はこの中国系激安バスのカウンターだった。私たちが列に並んでいる時、受付カウンターにいた中国人の女性が、電話口で大きな声でまくし立てていた。中国語だったので、何を言っているのか全くわからなかったが、あそこまで怒鳴り込むことも無いだろうにと思った。

チケットカウンターに行き、ここで問題が発生する。グレイハウンドのチケット売り場には、予め予約をした客用のチケット販売機があるのだが、夫がクレジットカードを入れても、チケットを発券しない。カウンターに行って予約番号を言い、チケットを発券してもらおうとするが、インターネットで予約した時にチケットを印刷しなければならなかったのだ。それに気づかなかった夫は、自宅で印刷をしておらず、その予約チケットは、彼のEメールからでないと、発券できないと言う。私たちを担当した係員は、そのチケットをどうしたら発券できるか知らないというので、他の係員が帰ってくるまで、待たなければならなかった。夫はこの時点でかなり焦っていたが、私はなんとなく、「なんとかなる」という気がしたので、「大丈夫よ。まだ時間はあるわ」と、夫に笑顔で言った。私の予感は的中し、戻ってきた他の係員が、事務所で私たちのチケットを発券してくれた。

チケットを握り締めた私たちは、大急ぎでバス乗り場まで走る。時間に余裕を持ってホテルを出たのに、結局最後は走ることになる。今回の旅では、いつも走っていたような気がする。バス乗り場に着くと、長い列が出来ていた。どうやら、まだバスは発車していないようだ。やっとホットし、列の終わりに加わり、バスを待つ。しかし今度は、私たちのバスが、時間になってもやって来ない。列に並んでいた人々が、グレイハウンドの社員にどうなっているのかたずね始めるが、どうやら、誰も何も知らないようである。だいぶ、どやどやしてきたところで、私たちの前にいた女性と話しをすることになった。彼女は、ボストン近郊のどこかの都市からやってきていて、ニューヨークにいる息子さんのところに行く予定らしい。私の夫がオバマ大統領の話をし出すと、彼女は「私は平和団体に勤めています。大統領が、他国と話し合いをしているのは、大変素晴らしいと思います」と言った。それに共感した私は、「話し合いのみが、平和を生み出すのだと思います。武力の行使は、結局は憎しみしか生まれず、共存への道には導きません。」と言うと、その女性は、大変喜んでいた。意外な所で、平和について語り合うことができ、私にとっては有意義な時になった。

1時間近く遅れてやってきたバスに乗ると、私たちの隣に、若いアメリカ人が座った。彼は誰かに電話をかけようとするが、電波が届かないらしく、ぶつぶつ文句を言っていた。
「シグナルが無いの?」
と私が聞くと、
「いとこと話しがしたいんだが、電話がかからない」
と言った。これがきっかけで、彼と延々と話しをすることになり、家族のこと、今までした旅行のことなどを話し合った。彼はイタリア系のアメリカ人で、東部のどこかに住んでいるらしいが、カリフォルニアの叔父の会社で働いたこともあるということだった。イタリアにいとこがいて、イタリアにも行ったことがあるという。日本料理も好きで、東京に行ってみたと言っていた。この彼に、夫が仏法について語り出した。夫が読んでいた仏法の本について語ると、彼は、「全く納得する内容ばかりだ」と、かなり興味深く聞いてくれた。夫が読んでいた本の題名を書きとめ、後で読んでみたいと言う。そこで私が、「彼に本をあげちゃえば?」と言うと、「いや、この本は、著者からサインを貰ったから、簡単にはあげられないよ」と言う。
「きっと本を書いた人は、そんなこと気にしないと思うわよ。なんなら、カンザスシティーに帰ってから、私が同じ本を買って、著者に送って、サインして貰うように頼んであげるわ。」
かなり渋々ではあったが、最終的に夫はこの男性に本をあげた。

途中1回トイレ休憩を入れ、コネチカット州を通り、バスはだんだん都会らしい景色の中に入る。いつの間にかニューヨーク州に入っていたようだ。道が混み出し、都会のごみごみした風景になる。バスで出会った男性は、そこがブルックリンだと教えてくれた。なんだか、日本のような風景だと思った。不思議なことに、私はニューヨークにいる間中、日本に帰ったような錯覚に襲われた。久しぶりに見る、道に溢れかえる人々。いつまでも消えないネオン。少し古びた雑居ビル。そして、喧騒。私が住んでいる中西部に、そういう風景は無い。「都会」というのは、どこの国かということは関係なく、世界共通したものがあるのだろう。





バスは長い旅を終え、ようやくニューヨークのバスターミナルに入る。荷物を受け取り、ホテルに向かう段になると、バスで出会った男性が、私たちをホテルまで連れて行ってくれるという。グレイハウンド駅からホテルまでの行き方が全く分からなかった私たちには、これはありがたい申し出であった。シカゴでもボストンでも、見知らぬ人に助けられることが多かったが、ここでも不思議と、こういう人が現れるのである。私たちは、大きなスーツケースを引っぱりながら、彼の後を歩き出した。ニューヨークの人たちは、歩くのが早い。スーツケースを引っ張りながら歩くのは大変であったが、周りにもそういう人はたくさんいる。ニューヨークは、大層、活気のある街だ。

バスで出会った男性は、「ペンシルベニア・ステーション」から、電車に乗り、いとこに会いに行くということだった。私たちのホテルの方向を指し示し、「本をくれてどうもありがとう」と夫に礼を言い、駅の中に消えていった。

ペンシルベニア・ステーションから道一本渡った所に、私たちがこの後3泊することになる「ホテル・ペンシルベニア」がある。ホテル前にはたくさんの国旗があり、外見はかなり豪華で良さそうなホテルだった。回転扉を押して中に入ると、丁度、チェックインするピーク時だったのか、カウンター前には、荷物を持った客達が、長い列を作っている。そこで話される言葉は、ほとんどが英語ではなかった。私は、話すことはできないが、中国語と韓国語の音は分かる。フランス語は、少しくらいなら話すことができる。スペイン語も、聞き分けることができる。ドイツ語も「これはドイツ語だ」と、認識することはできる。しかし、そこに溢れている言語は、私が聞き分けられる限度を遥かに超えており、全くどこの国のものか見当がつかなかった。まあ、世の中にはなんと多くの言語があることだろうか!地球の縮図を見ているようで、なんとも不思議な光景だった。一体ここは、どこの国だろう。ふと、ニューヨークに以前住んでいた同僚の言葉が、頭をよぎる。

「ニューヨークはアメリカじゃなくて、ニューヨークっていう、一つの国なのよ」

まさにそんな感じだった。

エレベーターに乗り、部屋がある通路に行くと、冷蔵庫のドアのような扉が付いていた。ドアが二重になっているのである。防犯のためなのかもしれないが、なんとも奇妙な形だと思った。やっとドアを開けると、そこには、小さな部屋がある。ツインサイズのベッドが一つ、机が一つ、テレビが入った箪笥が一つ。これだけの家具で、部屋がいっぱいだ。今まで私がアメリカで泊まったホテルの中で、一番小さな部屋だった。バスルームには、六角形の小さなタイルが床に敷き詰められ、タイルの間は、薄汚く汚れていた。ここを裸足で歩く気がせず、トイレの中では、サンダルを履くことにした。アメリカのホテルでスリッパ等を期待するのは間違いで、こういうことが気になる人は、家からスリッパを持参した方が良い。

ホテルを出て、とにかく夕食を食べに行くことにする。今回楽しみにしていたのが、「ニューヨークで吉野家に行く」ということだ。吉野家など、日本でも行った記憶があまりないのだが、日本企業のレストランに行くなど、カンザスシティーでは考えられないので、私にとっては、「ニューヨークならでは」の出来事なのである。吉野家はホテルから歩いていける距離にあった。ファーストフードレストランのような雰囲気の店には、アジア系の客が多くいた。若い日本人の女の子もたくさんいた。インターネットで薦められていたように、「汁だく」にしてもらい、席に着いたが、あまり感動するほどの味でもなかった。少し塩気がきつすぎると思った。今回だけで、吉野家に行くのは十分である。





さて夕食を済ませ、いよいよニューヨークの夜の街を歩くことになる。タイムズ・スクエアーは、平日の夜遅くであるにもかかわらず、まるで夏祭りのような人出だった。私たちのような観光客がほとんどで、カメラを片手に思い思いに写真を撮っている。こういう所では、人目を憚らずに堂々と写真を取れるのが良い。


歩行者天国を歩いていると、コメディークラブのチケットを売る人たちがいた。一人10ドルで1時間半のショーが見れると言う。お手頃価格で、ニューヨークっぽいことができると思い、夫と私は、そのショーを見に行くことにした。示された店舗の暗い地下に入り、更に奥に進むと、既にコメディアンの一人が狭いステージの上に立っていた。その小さな部屋には、30人ほどの観光客がいた。ほとんどはヨーロッパからの旅行客で、コメディアン達は、やたらと客の出身地を確認したがる。後で気付いたのだが、こういう商売をしている人たちは、いろんな国やアメリカでも地方の人と話しをしなければならないので、地方ネタで客の気分を損ねないように、気をつけているのだ。5人いるコメディアンの中で、私は3番目に登場した人が一番面白いと思った。素直に笑える話しで一杯だった。その人は、アメリカで有名なコメディーショー「Chappelle's Show」に出演していると言うことだった。私はDavid Chapelle が結構好きで、いつか彼のライブに行けたら良いなと思っているので、彼の番組に出演しているコメディアンのコメディーが見れて嬉しかった。全部のショーが終わり、店内を歩いていると、さっきまでショーをしていたコメディアンの一人が、ギターの練習をしていたので(その人はギターを弾きながらコメディーをする)、一緒に写真を撮ってもいいかを聞くと、快く承諾してくれた。夫と彼の写真を撮ると、私のお気に入りのコメディアンが横にいたので、彼も写真に入ってくれるように頼むと、すんなり入ってくれた。この時撮った写真をギターのコメディアンに見せると、「メールで送ってくれる?」と、なんとも庶民的なのである。この時にした約束はまだ果たせないでいるが、普通に良い人たちであった。




こうしてニューヨーク初日は更けてゆき、その後ホテルに戻り、やっとその日一日を締めくくった。

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