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2011年5月15日日曜日

ブランソンのシーフード食べ放題レストラン、Starvin’ Marvin’s



 キューピー博物館を出た後は、その前に寄った激安チケット売り場に、また立ち寄る。ここでのことは後ほど語るとして、そこに居た「トム」という男のお勧めレストラン「スタービン・マーヴィンズ」というシーフードの食べ放題レストランに行った。二日目のディナーであったが、この時が初めての「外食」だった。ブランソンにある大量の広告から見つけたクーポンで、一人2ドルほど安くなったと記憶しているが、それでも、最終的に、チップや税金を入れて、50ドル近く払ったと思う。だから決して安くはない。そこの食事は、それほど感動する物では無かった。南部の方に行くと、「揚げ物」が多くなるが、ここでも主流は揚げ物で、シーフードの殆どは、フライだった。基本的に私は、フライをあまり食べないようにしている。カロリーが高いだけでなく、「新鮮な魚本来の味」がしないからだ。フライにすれば、全てフライの味がする。日本人の私好みでは無い。

 ここで生まれて初めて、「蛙」を食べた。蛙の「足」を、口の中で強く感じた。形が分かった。意外に大きかった。あまり感じの良い物では無かった。よくアメリカ人は何か新しいものを食べた時、「チキンのような味」と何でもかんでも「チキン」にするが、そんなアメリカ人の真似はすまいと思えど、やはり「チキンのような味」と思った。ニューオリンズで食べた「ザリガニ」もあった。ケージャン風が、そのレストランのテーマなのか、辛くて食べられないほど、スパイスがかけてあった。

 蟹はフライでは無かったし、蟹を食べられる機会はあまり無いので、大量に確保し、夫と分けて食べた。アメリカ人は茹でた蟹に、溶かしバターをつけて食べる。私達のテーブルにも、小さなカップに入ったバターと、蟹の殻を砕く道具が届けられた。蟹は、随分食べにくい。殻がやたらとでかく、苦労してむき出した身は、意外と小さい。頑張った割には、ご褒美が少ないといった感がある。

 カンザスシティー出身の夫は、バーベキューリブを沢山皿の上によそった。しかし、バーベキューソースが甘すぎて、食べれたものでは無いと言う。私も一つ食べてみたが、こってりソースは、甘過ぎた。そこで夫は、ウェイトレスに、「ソースをかけずに、リブだけ持って来てくれ」と注文する。しばらくすると、ソースがかかっていない、焼かれただけのリブが、テーブルに到着した。夫は「こっちの方が、よっぽどましだ」と言った。「カンザスシティーに住んでいる僕らは、随分甘やかされた環境にいる」という感想も述べた。カンザスシティーはバーベキューで有名で、自分の舌はもっと肥えているということが言いたかったのであろう。自分が「甘やかされた環境に居る」とは思わないが、一々反論する必要も無いと思い、「そうだ、そうだ」と相槌を打っておいた。

 とまあ、あまり満足する夕食ではなかったが、この後、ブランソンで初のショーに行かなければならなかったので、あまり長いすること無く、そのレストランを出発した。

2011年5月2日月曜日

ボニーブルック歴史協会、及びキューピー博物館


 この日最初の予定は、私が前々から行きたいと夫に言い続けてきた、「キューピー博物館」の見学だった。ブランソンのすぐ北に、日本でおなじみ「キューピー」の作者、「ローズ・オニール」が晩年を過ごした家「ボニーブルック」が、復元されて残っている。上の絵が、オリジナルのボニーブルックだ。古いキューピー人形にも興味があったが、「ローズ・オニール」本人もずいぶん波瀾万丈に飛んだ興味深い人生を送ったらしく、それに家自体が、緑美しい自然の中にあるので、ぜひ見学したいと思っていたのだ。途中、ブランソンの「半額チケット」という言葉に惑わされて、また寄り道をし、少々時間がかかったが(この件については、後ほどじっくり語ります)、前日は私達のねぐらであった夫のトラックに乗って、キューピー博物館に向かった。

 ローズ・オニールの家はハイウェイを降り、緑に包まれた小径を少々走った末にあった。最初に入った建物はビジターセンターで、そこでチケットを購入し、いよいよツアーが行われるローズ・オニールの家に向かう。家の中に入ると、ガイドの女性が私達夫婦と、同じツアーに参加した男性二人組を迎えてくれた。男性二人というのが、私にとって、少々不思議だった。私の夫のように「キューピーマヨネーズがある日本で生まれ育った妻」を持つなら話しは分かるが、若い男二人。それも地名は忘れてしまったが、どこか遠い州から遥々やって来たという事だ。一人はビデオ、もう一人は写真のカメラを抱え、ブロガーの私並みに、熱心に記録している。この熱意は異常だ。使命に燃えている。この日は、年に一度キューピーファンが集まる「キューピー・フィエスタ」が行われた週だったので、キューピークラブの会員なのかもしれない。キューピー人形のコレクターは多く、オークションでも高値で売られるらしい。



 ツアーは、キッチンから始まった。ガイドはまず、その家が「幽霊に取り憑かれて」いて、テレビ取材された事を語った。火事で全焼し、20世紀になってから新しく再建された家なのに、なぜ幽霊が住み着くのか、私には不思議だったが、その姿形は全く見えず、音も聞こえず、恐い思いはしなかった。至る所に、ローズの作品が飾ってある、可愛らしいキッチンだった。

 リビングルームに移り、ガイドはローズ・オニールの人生と、彼女の家ボニーブルックの歴史を語りだした。ローズ・オニールは、1874年ペンシルベニア州で生まれ、幼少の頃、家族と共にネブラスカ州オマハに移る。八人兄弟の第二子で、幼い頃から美術の才能を発揮したローズは、14歳の時、オマハの「ワールドヘラルド」という新聞会社のコンテストで、見事賞を取る。しかしあまりにも熟した才能を示した作品を提出したため、審査員はローズの技量を確認するため、彼らの前で実際に絵を描かせたという。結果と言えば、ローズが5ドル金貨を受け取った。

 ローズ18歳の時、娘をニューヨークの美術学校に送ろうとした母は、学費捻出のため、シカゴで牛を売る。ニューヨークでもトップクラスのイラストレーターになったローズは、大企業の広告や雑誌にイラストを売るが、そんな彼女でも、女性であることを公開できなかったそうだ。その当時のアメリカでは、女性が男性と堂々と肩を並べて、社会で生きていく事は、まだ出来なかったのだ。家の見学の後に行った博物館には、「女性参政権運動」をしているローズの写真があった。女性というだけで、肩身の狭い思いをさせられたローズは、筋金入りのフェミニストでもあったようだ。因みにローズは、アメリカで最初の女性イラストレーターだったらしい。

 ローズの家族はネブラスカ州からミズーリ州オザーク高地に移り住み、ローズはそこを訪れると、その自然の美しさを深く愛し、長期滞在するようになる。イラストレーターとして成功したローズは、家族に仕送りし、「ボニーブルック」は、少しずつ増築され、最終的には三階建て、十四部屋を有する大邸宅となった。

 二度の結婚と二度の離婚を経験し、パーティー狂であったローズの家には、常に誰かが寝泊まりし、それが何ヶ月にも及ぶ事もあったそうだ。1909年の「キューピー」誕生後、ローズはとてもお金持ちになった。雑誌、食品会社等がこぞってキューピーを採用し、社会現象にまで発展し、ローズは、ニューヨーク、コネチカット、イタリアに家を持つようになる。パリで個展を開き、大成功も収める。

 しかしそんなローズも、浪費と、写真の進出でイラスト自体が時代遅れとなったせいで仕事を失い、晩年は貧しい生活を送ったそうだ。スプリングフィールドの甥の家で亡くなったそうだが、この甥が、彼女の美術品を全て彼の家に運び込み、その二日後、ボニーブルックは火事で完全に焼失する。ガイドの話しでは、ローズの弟による放火説があるそうだ。そんなにタイミング良く、火事が起こるというのは、さすがに怪しい。何か世間に知られたくない物が、この家にあったのだろうか?ガイドは、家がカビにやられ、崩壊しかけていたので、放火したという説があると言っていたが、本当のところを知っている人は、もう存在しないのだろう。

 

キッチンの次に、リビングルーム、音楽ルーム、書斎など、一階の部屋を見学した。所々に、ローズのイラスト入り家具があり、写真に収めた。壁には、もちろん彼女のイラスト入り額縁が飾ってある。

二階は寝室用になっていた。ローズが使っていたベッドルームには、キルト布団がかけられたベッドがあった。




外に通じるドアがあり、ポーチに出てみると、広い庭が下に見えた。そこにはローズが作製した銅像があった。ローズは本当に芸術の才能があった人で、私達日本人には「キューピー」のイメージが強いが、彫刻や、ずいぶん違った種類の絵画を数多く残しているのだ。



 廊下の末に、陽光が射している窓があった。そこで写真を取ると、心霊現象が写ると、例のゴーストテレビが承認したそうだが、私が取った写真には、そんな物は影にも写っていなかった。



 一番上の階には、ローズの仕事場があった。緑色に壁が塗られているが、その当時もそんな色をしていたのだろうか?なんだか現代的な気がする。アメリカのこうした「古い建物」に行くと、中が新しく塗り替えられている場合が多い。もちろん、ボニーブルックは火事で全焼し、復元された家なのだから、新しくて当たり前なのかもしれないが、本当の歴史保存とは言えないと、私は思う。



 仕事部屋には、ローズの作品や写真が沢山あった。ローズが実際に使っていたキャンパス立てもあり、そこには絵の具が付いていた。ガイドの話しでは、彼女の三十一歳の息子が、誰も居ないその部屋で、物音を聞いたそうだ。それ以来彼はそこに一人では絶対行かないそうだが、私達にはそんな音は聞こえず、私は思う存分写真を取った。こうしてボニーブルックの見学は終了し、この後、博物館の方に移った。















 博物館は、入り口にギフトショップがあり、左に曲がると、鏡ばりの陳列ケースに入った古いキューピー人形があった。ローズ生存中は、ドイツの会社でビスク焼き人形が数多く作られたそうだ。それらは私達日本人が知っている「キューピーマヨネーズ」のキューピーとは、かなり違う。日本のキューピーは、やはり「アニメ化」されていると思う。人形のキューピー達は、ローズ・オニールが描いたキューピーともかなりかけ離れているように、私には思えるのだが、ローズが実際にドイツまで赴いて作られた人形なので、彼女はそれで良いと思っていたのだろう。大きな人形は、何かに取り憑かれているような恐ろしい形相をしていると、私は思うのだが。(こんなことは、現地ではとても口に出来なかった。)しかし、陳列ケースに入った小さな人形の中には、原画に近いキューピーも沢山あった。ガイドが、値段が書かれた本を見せてくれたが、「エーッ」と驚くほどの高値である。小さな置物でも、何千ドルもする。現在は製造されていないアンティークとはいえ、その値段には驚かされた。






 その奥には、ローズの絵画がある美術館になっていた。入り口で一枚写真を取ると、ガイドが「そこでは写真撮影禁止になっているのよ」と私に注意したので、その後は写真を取っていない。



私が三十分ほど観察した限りでは、ローズの作品には三種類ほどあると思う。一つは、食品会社や女性雑誌用に描いた、コマーシャル向けのイラスト。これが、ビックリするほど、「上手」なのである。と、素人の私に評価されるのは、ローズにとって侮辱にも通じるかもしれないが、キューピーとは全く違った、パリのイラストレーターの作品かと思うほど、素晴らしい作品を数多く残している。写真を取れなかったのが残念だ。

 その次には、「愛」をテーマにした、ずいぶんどんよりした(ドロドロした)作品。男女が抱き合った物が多い。こっちの作品は、もう少し男性的な、大胆な筆使いで、荒々しい印象を受けた。こちらは、もっと「美術館向け」といった感じだ。(例えば、こんな感じ。下の写真は、ローズの家にあった彼女のスケッチです。)



そして最後のカテゴリーが、もちろん「キューピー」。





(こちらの写真も、ローズの家で取りました。日本のキューピーとかなり違うのが分かりますか?)

これら全てが、同じ芸術家から創作されたとは思えないほど、全く違うのだ。こういった意味で、ローズ・オニールは、ずいぶん奥の深い芸術家だと私は思う。

 この後、建物の反対側にある場所で、「ガレージセール」のようなキューピー人形販売所があったので、そこで日本のキューピーを2ドルで購入した。ガラスケースに陳列してある古いアンティーク人形とは違い、こちらは、本当にガレージセールのようだった。その他にも、キューピーの小さな本を一冊買い、博物館を後にした。

タイムシェアで予約したホテルにチェックイン



(この日もホテル自体の写真を撮り忘れ、上の写真は、ホテルの5階の私達の部屋からの風景です。)

 ブランソンへのドライブ旅行二日目の朝、キャンプ場を出発し、「ラディソンホテル」(http://www.radisson.com/branson-hotel-mo-65616/mobranso?s_cid=se.ggl.rad_cmp15)にチェックインする。前日バスプロショップで、「2泊99ドル」で予約したホテルだ。ホテルの受付カウンター前に、バスプロが所有する「Big Cedar Lodge」のデスクがあり、そこで最初に受付をした。翌日のセミナーの予約を、一番早い8時半に入れた。開催場の地図が渡され、「不参加だと、クレジットカードに100ドル追加請求されます」と前置きされる。セミナー会場はブランソン郊外のようだった。私達の泊まったホテルは「ラディソンホテル」という、多分1泊120ドルから150ドルくらいのホテルだ。ブランソンで一番大きなホテルの一つだろう。繁忙期ではないので、特別に朝10時くらいにチェックインさせてもらった。しかし、セミナーを開催するのは、バスプロショップが所有する「Big Cedar Lodge」( http://www.big-cedar.com/)という山小屋感覚のホテルだ。そのホテルが主催する「タイムシェア」のセミナーに参加するので、こんなお得な旅行が実現したというわけだ。

 セミナーの予約をした後、今度は「ラディソンホテル」の受付に行き、やっと部屋の鍵を渡される。指定された520号室に行き、シャワーを浴びた。部屋は五つ星級ではないが、通常私達が泊まるモーテルに比べれば雲泥の差で、最近アップグレードされたばかりのキングサイズベッドは角度調節可能、枕も布団もフワフワで気持ち良かった。アメニティーも充実していて、満足である。

 仕度を整え、出かける前に、ホテルの中を少々見学した。地下にレストラン、ジム、プールがあるようだった。売店のようなピザ売り場を覗いていると、そこで働いている従業員が、レストランの中を案内してくれた。そこはバーのようで、夜になると開店するらしい。そのバーの横にある通路に、ずらりと額に入った写真が壁に飾られていた。そこは戦死した兵士達を讃える場所のようだった。戦争を放棄した日本とは、かなり違うアメリカを見る瞬間である。神道を利用し、天皇を神のように仰ぎ立て、絶対服従を要請した戦前の軍事国家日本を終焉させたのは、アメリカなのに、アメリカがある意味、戦前の日本のように兵士達を「ヒーロー」と呼ぶのは、未だに違和感を私は感じる。アメリカが、日本のようにならなければ良いが、と思う。日本人の私にとって、自分の国が「戦争」に参加していたのは、第二次世界大戦までだ。随分、過去の話だ。しかし、アメリカでは現在でも戦争に行く。最近知ったことだが、現在の50歳代までは、若い頃に「徴兵された」、つまり「強制的に戦争に行かされた」経験を持つ人が多くいるのだ。もちろん徴兵制度は、アメリカでは廃止され、現在では職業として志願した軍人のみが戦争に行くが、ベトナム戦争までは、一般の若い男子が、普通に戦争に送られていたわけだ。夫の母は、「自分は女だから、戦争に行かなくても良かったことが、どれだけ救われたか知れない」と言った事がある。その頃生まれたヒッピー文化も、戦争に行かなければいけない不安を背景にしていると言える。こういう感覚は、今の日本人には無い。後に知る事になるのだが、ブランソンは、随分こうした保守的なアメリカ人、つまり戦争をある意味「美化」する人が多いと思う。

 とまあ、そんなブランソンの一面を知った後、ホテルを出発した。

2011年4月21日木曜日

ミズーリ州ブランソンで、キャンプ




(この日は、遅くに到着し、翌日も早く出発したので、キャンプ場の写真を撮るのを、忘れてしまいました。)

 ブランソンに近づくと、だんだん薄暗くなってきたが、周りの風景の美しさに、圧倒される。ブランソンは、「オザーク高地」で「鱒釣り」を楽しむ人達を対象にしたエンターテーメントで発展した町だ。ガイドブックで見つけたキャンプ場に向かう私達の車は、新緑が美しい山の中を走っていた。平坦なカンザスシティーでは見られない光景だ。車窓の外には、新しい息吹を放つ木々が群れを成し、延々と広がっている。山を上から見るのは、ずいぶん久しぶりで感動した。

 カーナビを酷使しキャンプ場に到着した頃には、とっぷり日も暮れ、受付事務所は閉まっていた。それでも車を降り、事務所付近をウロウロしていると、男性が声をかけてきた。どうやら、このキャンプ場で働いているらしい。「今到着したばかりで、このキャンプ場に泊まりたい」と言うと、「どうぞ、152番をお使いください」と言う。夫婦で働いているのか、彼の背後に犬を連れた女性がいた。その女性は、「152番は他の敷地より広くて、見晴らしの良い所にあります。今は繁忙期ではないので、一番安い場所と同じ値段で結構です」と言う。こういう風に言われると、VIP扱いをされ、ずいぶん得した気分になる。その事務所の後ろにトイレがあり、シャワーもそこにあるらしい。このCompton Ridge Campground (http://www.comptonridge.com/)は、キャンプ場としては、ずいぶんハイクラスで、トイレ、シャワーはもちろん、屋内プール、ゲームセンター、売店、ビデオレンタル、レクリエーションセンターまである。キャンプではなく、ロッジに泊まる事もできるので、キャンプ初級者には打ってつけの場所だ。しかし私達は暗くなってから到着したので、ハイキング等に行く時間も無く、結局、ほとんどの施設を利用する事無く、後にするのだが。

 とりあえず指定された152番に行ってみると、少し下に突き出た場所に位置した。車を止めるのには、少々厄介な場所だ。しかし一旦駐車すれば、そこだけプライベートな空間で、他の車は見えない。私はその個室感覚が気に入った。私達のスペース用に、ピクニックテーブル、電気、水道があった。これなら2、3泊くらい出来そうだと思った。しかし夫のトラックのライトを消すと、何も見えないくらい暗い。キャンプ場には街灯が無いんだと、キャンプ初心者の私は思った。カンザスシティーから持参した虫除け用のろうそく(蚊取り線香のような役割を果たす)に火をつけると、目潰しにあったような眩しさを感じた。暗がりに慣れた私の目は、ろうそくの火を直視できない。本来、夜とは暗いものなのだと思った。「この火で、マシュマロ焼いて、グラハムクラッカーサンド作ろうか」と言ったら、「これは虫除け用のろうそくだから、そんな物を食べたら病気になる」と夫に言われた。アメリカ人は、キャンプの時に、串に刺したマシュマロをキャンプファイヤーの火で焼き、溶けたものをグラハムクラッカーに挟んで食べるらしい。

 トラック後部に詰め込んだ持参品を、ピクニックテーブルに運び出す。今回キャンプに費やす時間は、それほど無かったのだが、キャンプに必要な物は一通り持ってきた。しかし、普段使っていない鍋やフライパンをキッチンで洗ったまま、持ってこなかった事に気付く。これではせっかくバスプロで買った、キャンプ料理用のビュータン缶も無駄になるという物だ。ギフトカードのおかげで、ただで手に入っただけ良かったが。

キャンプ場の夜は、予想以上に静かだった。ひんやり気持ちの良い澄んだ空気に包まれ、静寂が津々と降ってくる。こういう所にいると、アメリカでなぜ、カントリーミュージックが生まれたのか、分かる気がした。電気の無い西部開拓時代、こんな静かな暗い夜を過ごすには、携帯便利なバイオリンを陽気に響かせ、キャンプファイヤーの周りで踊る以外、何が出来るかという話しだ。西部開拓者達は、究極のキャンプ上級者だったに違いない。こうして実際に自分自身がそういう場に身を置き、道無き道を進んだアメリカのフロンティア達に、敬意の念を抱いた。

 夫は、ブランソンの町を見学したいと言い出す。私は少々疲れていたが、この真っ暗な、本も読めずテレビも無い場所で、特に何かが出来るわけでもなく、一緒についていく事にした。キャンプ場の途中、明かりの点いたキャンピングカーがあった。アメリカでキャンピングカーは、「RV」と呼ばれる。「レクリエーション・ビエクル」の略で、ビエクルとは車という意味だ。RVの中は、意外と快適である。大型の観光バスのようなRVになると、アパート一つ移動させているような物で、ベッドはもちろん、冷蔵庫、洗濯機、トイレ、シャワー、テレビ等、何でも揃っており、お値段も家一軒買うくらいの覚悟が必要だ。そこまで豪華ではないが、中で立って歩き回れ、きっとキッチンもテレビもあるであろうRVは、私達のトラックより、遥かに快適そうで、「家」という感じがした。

 ブランソンの町は、基本的に三つの地域に分けられると思う。一つ目はもちろん主役の「劇場地区」。そこには至る所にカントリーミュージック、エルビス・プレスリー等の有名人の物まね、アクロバット等のショーが繰り広げられる劇場と、それに行く観客が泊まるホテルでひしめいている。その中で一番人気なのが、なんと「ショージ・タブチ」という日本人ミュージシャンのショーだ。日本で生まれ育ったタブチさんが、アメリカで大成功を収めているというのは、やはり日本人として大変嬉しい。ブランソンの花形看板男だそうだ。夫は10年程前ブランソンに住んでおり、その時タブチさんのショーを見ているが、とても素晴らしいショーだったらしい。その他に有名なのが、ドリー・パートン所有の「デキシー・スタンピード」。デキシーとは「アメリカ南部諸州」という意味で、「スタンピード」とは「野獣、家畜の群れが驚いてどっと逃げ出す事」と、辞書にはある。その名の如く、ビデオを見る限り、牛や馬等いろんな動物が走り回り、ショーをするらしい。このショーのチケットは高いが、ディナー付きなので、南部の典型的な食事を経験したい方には、良いかもしれない。その他にも大御所アンディー・ウィリアムの劇場もある。

 二つ目の地区は「歴史地区」で、ブランソン最初の開拓地だ。可愛い小さなお店がずらりと並んでいる。ここを歩いているだけでも楽しいに違いない。私達は今回、歴史地区を歩く時間は無かったが、次回ブランソンを訪れる機会があれば、ぜひ行きたいと思う。

 最後の地区は、夫を最も驚かせた「埠頭地区」。湖の側にヒルトンホテルが堂々と建設され、その横に最新の高級ショッピングセンターがあるのだ。夫が住んでいた時代、そこには何も無く、彼の言葉を引用すると「顎が落ちるくらい」ビックリしていた。そこの駐車場に車を停め、しばらく歩く事にする。屋外ショッピングセンターの端には、ライトアップされた噴水があった。その前の階段を登ると、アメリカ全国規模のブティックや宝石店、レストラン、台所用品店等がずらりと並んでいる。一階が商店街で、二階はコンドになっているように見えた。ヒルトンホテルの別棟かもしれない。船着き場の近くに、インターネットで見つけた「フィッシュハウス」というレストランがあった。後で気付いた事だが、このレストランはバスプロ系なので、後に貰うギフトカードで食事できるはずだ。ほとんどの店は閉店後だったが、レストランやバーが数件、まだ営業中だった。その間にある歩行者天国の道を、夫と二人でのんびり歩いた。一通り全ての店を見学した後で、車に戻り、途中ガソリンスタンドに立ち寄って、キャンプ場に戻った。

 さて、ここからがキャンプ本番である。食べ物や釣り道具(使わなかったが)等は全て、テーブルの周りに出してある。懐中電灯を頼りにトラック内のベッドを整え、寝転がってみる。エアーマットレスというのは、大変移動しにくい代物だ。その上、覆いが被さったトラック後部はとても狭く、立ち上がる事等、到底出来ない。ぐにゅぐにゅ揺れるマットレスの上を何度も寝返りし、最も快適なポジションを探すよう努めた。昼間は暑いくらいだったが、気温の下がった夜の空気は、冷たい。なかなか寝付けず、それに花粉症で十連発くらい、くしゃみをした。「普段はいびきでうるさいのは僕だけど、今日は耳栓が必要だ。振動も加わるし」と夫に言われた。

 しかしそれでも、いつの間にか眠りに落ちたようで、気付けば外は既に明るく、鳥やリスの物音で目が覚めた。窓から、まだ葉の付いていない木々が見える。目が覚めた時に、水色の空と木が見えるというのは、何とも贅沢な気分で清々しい。そうか、キャンプの醍醐味とはこういう物なんだなと思った。夫も目が覚めているようだったので、寒い外に出てみる事にした。

 トイレに行きたかったので、事務所方面に行く。トイレは、とても清潔だった。公衆トイレといえば、「汚い」イメージがあり、少々そんなトイレを想像していたが、「今、清掃が終わりました!」と思うほど、床も便器もピカピカに清潔で、とても気持ちが良かった。試しにシャワーも見学したが、こちらも清潔である。この後ホテルに行く予定だったので、ホテルでシャワーを浴びようと思っていたが、これならここでシャワーを浴びても良いと思った。(結局しなかったが。)因みに、このキャンプ場は、ワイヤレスのインターネット「Wi Fi」が使用できる。

 夫が待っている事務所に向かう。事務所の中には売店もあり、そこでキャンプに必要な物は、ほとんど揃いそうだった。映画のビデオや本の貸し出しもしているようで、エンターテーメントにも余念が無い。その売店で、コーヒーを購入した。私のオフィスのコーヒーよりも数段、美味しい。前日会った女性が、事務所に居た。会計を済ませた夫は、これから見たいブランソンのショーについて語っていた。その事務所でも、割引付きでショーのチケットが買えるようだった。夫は「デキシー・スタンピード」が見たいと言っていたが、その女性スタッフは、当日のチケットは販売できないと言った。

 私達の敷地に戻り、朝食の準備をする。やっとキャンプらしいことができると思った。私達の敷地には、ピクニックテーブルが一つと、端の方に水道の蛇口があり、その上に小さな電気のアウトレットの箱があった。長い延長コードと、小さなランプを持参すれば、夜でも灯りをつけることができると名案が沸き、次回は絶対に持参しようと思った。前日、鍋類を持ってこなかったことに気付いていたので、アメリカ製炊飯器で、ラーメンを作ることにする。ブランソンに来る前に寄ったスーパーで卵を買っており、ラーメンに卵も入れた。作っている途中、夫とピクニックテーブルで話しをしていたので、茹ですぎてしまい、少々伸びたラーメンだったが、夫はおいしいと言って、食べてくれた。彼はコンピューターを取り出し、「どうやら炊飯器では、何でも料理できるらしい」と、Facebookで公表していた。朝食終了後、簡単に掃除し、荷物を全てトラックに詰め込み、ホテルに向けて出発した。

2011年4月20日水曜日

ミズーリ州ブランソンへの旅、バスプロショップ本店に立ち寄る




 4月13日から三泊四日のドライブ旅行に行ってきた。目的地は、カントリーミュージック等のエンターテーメントで有名なミズーリ州ブランソン。カンザスシティーの自宅からは車で四時間ほどの距離だ。今回も事前予約無し、行き当たりばったりの旅行になったが、それ故、楽しい事も多かった。

 ドライブ前に決めていた大まかなプランでは、第一日目にキャンプをしようという事だった。二日目、三日目は天気が悪くなるという予報だったので、一日目に済ませてしまおうという考えだ。キャンプと言っても、テントを張るわけでも無く、夫の屋根付きピックアップトラックの後ろに、エアーマットレスを敷いて、そこで寝るという超簡易なキャンプだ。それで前日にエアーマットレスを膨らませて、トラックの後ろに詰めた。丁度良い大きさだった。その上に、普段使っているシーツと布団をかけて、「移動式我が家」の出来上がりだ。私はどうしても、「おにぎり」が食べたかったので、当日の朝、せっせと最近お気に入りの「わさびツナマヨネーズ」のおにぎりを作った。炊飯器もトラックに載せて、現地でもおにぎりを作る事にした。夫が、「キャンプと言えば、普通は、ホットドックやハンバーガーなのに、おにぎりなんだね」と言った。あなたの妻は、普通じゃない日本人だからね、と私は思った。

 当日、予定よりもかなり遅れて、カンザスシティーの自宅を出る。最初に犬のボジョを獣医さんのデイケアーに預け、高速に乗る。朝握ったおにぎりに海苔を巻き、車の中で食べる。おにぎりとは、なぜにそんなに美味しいのだろう。幸せな気分だった。前日作ったクランベリーブレッドも食べる。こちらも美味しかった。今回、このおにぎりとクランベリーブレッドが大活躍し、3泊4日で外食したのが、たったの3回!超倹約旅行が実現した。

 高速を3時間も走ると、「スプリングフィールド」という町に到着する。ミズーリ州南西で一番大きな市だ。そこで、キャンプ用ガスコンロの「ビューパン」という缶を購入しようと「ウォールマート」に立ち寄った。てっきりそこにあると思っていたら、「プロパン」の缶はあるが、「ビューパン」の缶は無いと言われた。その後、地元の「プロパン屋」、DIY用具の「ローズ」と行くが、そこでも見つからない。しかしローズの店員が「バスプロでは売っているかもしれない」と言うので、アウトドア用品専門店のバスプロショップに行くことにした。

 スプリングフィールドは、バスプロショップ発祥の地で、本部もスプリングフィールドにある。行ってみると、巨大な建物があり、中には釣り、キャンプ、狩猟用具、アウトドア用の服の他に、レストランやお菓子売り場まであった。入り口を入るとカウンターにいた若い女性従業員が、私達夫婦に声をかけてくる。どこに行くのかと聞くので、「ブランソンに行く」と言うと、「それならぴったりのホテルプランがあります」と言う。この一声が、私達の今回の旅行行程を大きく変更する決定打になる。たったの99ドルで、ラディソンというホテルに二泊でき、その上、バスプロのショップはもちろん、バスプロが所有するレストランでも使用できるギフトカードを100ドル分もくれると言う。それでは私達が払う分よりも多いというものだ。しかしそれに裏があるのは、分かっていた。

 事前のリサーチで、私は他のホテルではあるが、99ドルで五つ星ホテルに二泊でき、その上レストランクーポンや、ブランソンで有名なショー「デキシー・スタンピード」のチケットが付くプランを、インターネットで見つけていた。「なぜ、そんなに安いのか」と良く読んでみると、「90分から120分のプレゼンテーションに参加しなければならない」とある。さらに細かい条件を確認すると、どうやらホテルのプランを売ろうとしているらしく、参加資格者は、「合法的に結婚している夫婦」で、独身者は参加できない。年間収入はいくら以上と、さらに厳しい条件もある。「外国人の場合、通訳無しに英語が理解できる人」というのもあった。これを、その夜仕事から帰ってきた夫に話すと、「きっとそれは『タイムシェア』だよ」と言う。彼の姉が昔、参加したらしい。ホテルの所有権を他の人と共有し、それを交換して、世界中に行けるという物だ。そんなプランがある事を知らなかった私は、「一つ勉強させていただきました」と受け入れた。「これやってみたい?」と夫に聞くと、「やってもかまわない」という事だった。

 そんな予備知識があった私達は、あっさりそのプランを買う事にし、受付で手続きをする。まずその場で、今回特別の25ドルのクーポンをくれた。これは100ドルに上乗せで、結局合計125ドルのギフトカードを受け取る予定だ。残りの100ドルは、プレゼンテーション終了後渡されるので、「必ず出席してくださいね」と、女性従業員は念を押す。分かっておりますとも。100ドルのギフトカードを、ミスミス見逃す私ではございませんと、主婦はちゃっかりしている。その後、本来の目的であった「ビューパン」の缶を、貰ったばかりのギフトカードで入手した。(つまり、ただで手に入れたというわけだ。)バスプロの店を出た後、地元のスーパーに立ち寄り、食料を少々購入し、ブランソンに向けて出発した。

2010年10月22日金曜日

ミズーリ州ウィンザーの夏祭り



(これは、2009年の「レイバーデー」の週末、ドライブ旅行に出かけた時のものです。旅行の直後、この原稿を書き始めたのですが、途中で放り出してしまい、長い間、コンピュータの中で眠っていました。最近、最後まで書き終えたので、(忘れかけた記憶を頼りにしながら)、ここで発表します!)

 ある日、夫が「ドライブ旅行に出かけよう!」と提案する。夫の父が家を持っているミズーリ州のウィンザーという場所で、夏祭りがあるというのだ。土曜日に有給休暇を取り、ドライブに出かけるというのは、ずいぶん久しぶりのことだった。

 カンザスシティーからウィンザーまでは、2時間くらいのドライブである。家を出てすぐにGPSを持ってこなかったことに気づく。
「どうする?家に帰って、GPS持ってくる?」
少々心配げに聞く私に、
「いや、ちゃんと頭の中に地図が入ってるから、大丈夫だよ。ウィンザーには、何回か行ってるからね。」
と、夫は答えた。

家の近くのガソリンスタンドに寄り、まずガソリンを補給する。「労働者の日」連休幕開けの日であったためか、そのガソリンスタンドには、いかにも旅行に出かけます、といった感じの家族連れが多くいた。こういう風景の一部に自分もなっているのは、なんだか嬉しかった。レイバーデー連休のドライブ旅行。いかにもアメリカという感じではないか。


ドライブは、途中まで順調であった。ハイウェイを南に向かって走り、道路脇にある看板の地名をわざわざ声に出し、読んでみたりする。カンザスシティーの郊外に出ると、緑が美しい田舎の風景が続き、たまに牛や馬が放牧されている牧場や、花畑、湖が見える。それは、ドライブ旅行者にとって、のどかで満足する風景だった。こういう所を走ると、どうも"Country road, take me home, to the place I belong" 等と、昔ラジオでよく聞いたカントリーミュージックの一節を、口ずさみたくなる。夫も同じような心境だったのか、一緒にこの歌を歌いながら、私たちはのんびりと、ドライブを進めていった。

しかしウィンザー近くに来ると、それまでのおおざっぱな記憶だけでは行き先の選択をするのに、十分でなくなってくる。ハイウェイを降りた後のローカルな道には道標など無く、見渡す限り、どこも同じような農耕地帯なのである。歩いている人など、当然いない。私たちは、道が二股に分かれた角に出くわした。右に行くべきか、左に行くべきか。夫は「右に行くべきだ」と言う。しかし私は「左に行くべきだ」と言い放ち、結局、私の意見に従って進行方向を決めたのだが、これが大きな間違いだった。行けども行けども、記憶の中にあるウィンザーの風景は出てこず、いつの間にか次の大きな町に行く高速道路付近まで行く。進行方向が間違っているのは明らかで、私たちはもと来た道を逆戻りすることにした。そしてあの分かれ道まで辿り着き、最初に行くべきだった方向に車を走らせる。しばらくすると、ウィンザーと名が入った看板があり、やっと一安心したのであった。

 ミズーリ州ウィンザーは小さな田舎町で、町の中心地も、ごく小さい。しかし、アメリカ開拓時代当時からあまり変わっていないだろうと思われる建物が残っているのである。インターネットで昔の写真を調べてみたら、白黒写真に写るのと同じ建物が、私が撮った写真の中にも写っていた。

 祭りのため通行止めになっている道を避けながら、私たちは、小さな白い天窓が屋根についている夫の父の家に着いた。普段カンザスシティーに住んでいる夫の父は、まだ到着していなかったが、私たちは誰もいないその家の中に入る事にした。私たちが来る事がわかっていたため、家の鍵はかけられていなかった。これで済むのであるから、アメリカといえども、まだまだのどかな場所が残されているのだと思う。その小さな家の中には、まずリビングルームがあり、その奥に大きなテーブルが置かれたダイニングルーム、そのまた奥に小さなキッチンがあった。ダイニングルームから左に行くと、小さなベッドルームがあり、その隣にバスルームがある。バスルームは次のベッドルームにも続いていて、つまり、両端のベッドルームから入れるようになっていた。夫が小さい時から家にあったという木製の体重計が、バスルームの中にあった。その体重計は、重りをずらして量るもので、私の目には、アンティークのように見えた。窓には、太くて白い木製のシャッターがあり、その隙間から外が見える。外が見えるトイレに入ったのは久しぶりだったので、田舎の家に来ている事をさらに感じた。



 しばらくベッドルームで休んでいると、夫の父と祖父がやってきた。慌てて挨拶をし、初めて入ったその家が気に入った事を告げた。その後、夫は、父の友人と話をしてくると言い、私はカメラを持って、祭りが行われている町の中心地に行くことにした。車に乗っている時に見えた古い町並みを、逸早く写真に収めたかった。茶色いブロックにコカコーラのロゴが書かれた建物がある。こういった建物を、見たままに写真に写すには、どうしたらいいのだろう。小さなカメラのスクリーンに映る写真は、どうも私が見たものとは違う。感動を写真の中に閉じ込めたい。いつも思うことである。




 写真を撮っていると、夫が父の友人と共に現れた。犬のボジョも一緒である。所々で写真を撮り続け、私たちはカーニバルが行われている方に行った。そこには、小さな子供達が笑顔を振りまきながら乗っている、小さな移動式遊園地があった。その横に、若い女の子が台の上に乗った装置がある。装置の右端に付いている的にボールを当てれば、女の子が下の水槽に落ちるという仕組みだ。こういう遊びは、昔からあるらしく、映画などで見たことがある。



 夫が何か食べようと言い出す。夫と父の友人はホットドックを、私はバーベキューが入ったサンドイッチを、屋台で注文した。バーベキューと言っても、日本のように串刺しになった物ではなく、じっくり弱火で焼いた肉の塊をほぐした物である。それにバーベキューソースがかけてある。そのバーベキューは、ハンバーガー用のバンズに挟まれて、私のもとに届けられた。この後、夫は家に戻ると言ったので、私は一人でバーベキューサンドイッチをベンチで食べながら、祭りの様子を楽しんだ。写真を撮り、フェンネルケーキがあったので、それを購入した。フェンネルケーキとは、ドーナツのドウのような物を細く絞り出し、丸く型取った後、油で揚げたものである。その上にパウダーシュガーをかけて、熱々のうちに食べる。油で揚げただけのシンプルなおやつである。これを家に持って帰り、夫と一緒に玄関前のポーチで食べた。 




 道の向かいにある広場では、馬の蹄を投げるゲームをしている村の男達がいた。ビールを片手にワイワイと集まった男衆は、何やら楽しそうな雰囲気であった。





 しばらくすると、テントがあるステージで、バーベキューコンテストの結果発表があったので、家から携帯用の椅子を持って見に行くことにした。しかし、せっかく場所取りをしたのに、夫がやって来て、「ディナーの用意ができたから、家に帰って食べよう」と言う。本当を言うと、食事より、バーベキューコンテストの方に興味があったのだが、せっかく義理の父が作った食事を、無視するわけにもいかない。なので、家に戻りテーブルの席についた。




夫の両親は、アメリカの50パーセント以上の夫婦同様、離婚している。長い間独身で黙々と生きてきた父の料理は、無骨ながら、アメリカの原野の味がした。少々固くなってしまったポークチョップ。缶詰のグリーンビーンズ。そしてデザートのケーキ。私が作る料理に比べて、野菜が著しく少ない。これらの料理を、ワインと共に食す。私は、ワインを飲みながら、食事をすることがほとんどないので、すぐに酔ってしまい、あまり食べることができなかった。


 食事もそこそこに済まし、またコンテスト会場に戻る。バーベキューは「男の料理」で、名を呼ばれる人達は、ほとんど男性だ。私はそのバーベキューの味見はしていないのだが、名前が呼ばれるたびにステージに向かい、トロフィーやリボンを誇らしげに受け取る、見知らぬ男達に、賞賛の拍手を送った。 



 このベーベキューコンテスト受賞者発表の後、タレントショーがあった。タレントショーとは、要するに、のど自慢大会である。しかし、田舎ののど自慢大会と侮るなかれ。この地方一帯のタレントショー巡りでもしているのか、中には、ずいぶん素人離れした歌唱力を披露する者もいた。こうした半プロの歌手達と、地元出身の参加者は、一目で違いが分かる。半プロの歌手達が、垢抜けた装いであるのに対し、地元出身者達は、やはりなんだか、「田舎者」という感じがするのである。婦人会や学校でこのタレントショーのことを聞きつけたか、運営委員会をしている友人に頼まれて参加したのだろう、歌唱力が無いのはもちろん、中には、歌詞さえ覚えていない人もいた。その一方、州を超えてやってきた半プロ歌手達は、曲と曲とのつなぎ時間の使い方も慣れたもので、「この曲は、友人の誰々に贈ります」と言ったりし、ほとんどスター気分なのである。この辺が、私が一番感心した点である。このタレントショーの審査員は、地元のラジオ局のDJである。やはりそれなりに、そういう分野で活躍している人を選んでくるんだなと、この点も感心した。

 このタレントショーが終わったのは、夏の夕暮れから夜に変わる頃で、オレンジ色のライトがついた会場は、たくさんの人が詰めかけていた。こんな小さな町に、こんなにたくさんの人がいたのかと驚くほどである。この会場で、今度は、地元婦人会メンバー作成の「キルト」や「パイ」のオークションが始まった。このオークションの司会は、プロと思われる男性二人で、何を言っているのか良くわからないほど早口で、まるで歌を歌っているようなリズミカルなテンポだ。こういう人は、テレビでは見たことがあったが、生で見るのは初めてだった。キルトもパイも、どこか他の場所で行われたコンテストに出品された物らしく、「このキルトは、賞を取りました」と紹介する。これが、結構なお値段で売れてゆくのである。参加者が手を挙げる度、カウボーイハットを被ったフェスティバル運営者達が、大きな声で威勢良く知らせる。きっと、開拓時代のカウボーイ達も、年に一回のフェスティバルを、こんな風に盛り上げていたのではないかと、なんだか、アメリカの大地を感じる光景だった。こうして夜も更けてゆき、このオークション終了後、カンザスシティーまでドライブして帰った。

2010年9月4日土曜日

ミズーリ州ウェストン



 カンザスシティーの北西に「ウェストン」という町がある。人口二千人にも満たない小さな町だが、歴史の紐を解いてみると、19世紀、ミシシッピー川流域では、セントルイスに次いで二番目に大きな都市だったという。その当時は、人口も五千人以上で、カンザスシティーよりも、遥かに大きな急成長都市だったそうだ。ミシシッピー川を行き来する蒸気船の港として栄えた。そんなウェストンも、洪水、火事、南北戦争等を経て、衰退の道を辿った。しかし昔の面影を残した建物が今でもたくさん存在し、歴史指定地区になっている。そんなウェストンに、8月のある日曜日、夫と一緒にドライブに行った。

 カンザスシティーの私達の自宅からは、車でおよそ30分くらい。程よいドライブの距離であるが、運転手の夫が、かなり前で高速を降りてしまい、ローカルの道を通ったので、1時間くらいかかった。しかし、カンザスシティーからウェストンまでの小さな町も見ることができ、私はかえって良かったと思っている。途中、小さな湖や、両側から木が垂れ下がった道が延々と続く所等を走り抜き、「今度、家を買い換える時は、この辺がいいかも」と考えた。

さて、ウェストンのダウンタウンに近づくと、なんだか黄色い畑が見えたので、それが何か確認するために、そっちの方に行くことにした。畑のすぐ近くに行くと、なんだかキャベツのような匂いがするというのが、素直な感想。これが何かと言うと、なんと「タバコの葉」!というのは、後で寄った店の店主が教えてくれたことだが、ウェストンは、「タバコ」で栄えた町でもあるそうだ。家に帰ってから調べたウェストンのホームページによると、19世紀、南部からやってきた「タバコ生産者」たちは、肥沃なこの土地でタバコの葉を生産した。しかし、タバコの葉を育てるのは大変な作業らしく、奴隷無しでは成算が立たず、堂々と奴隷制度が存在していたと言うから、驚きである。奴隷制度といえば、南部のプランテーションだけかと思い勝ちだが、こんな身近に存在していたとは、私にとってショックな出来事だった。以前私が住んでいたネブラスカではそんな話は聞いた事が無かったので、州を一つ超えただけでこんなに大きな差があるんだと、目を見開かされる思いである。ウェストンはミズーリ州だが、町の境界線となっているミズーリ川の向こう側はカンザス州。カンザスでは奴隷制度は禁止されていたので、カンザス州とは問題があったそうだ。













 さてダウンタウンは、そんな1800年代のアメリカの建物が残った可愛らしい町だ。駐車し、一番最初に入った店は、メインストリートにある「McCormick Country Store」。McCormickは、アメリカで最も古い蒸留所で、国の歴史指定建造物に登録されている。現在はここでは酒造されていないが、店には、McCormick社製のウィスキーや、グッズが売っている。行く前にウィスキーを作っているのは知っていたが、そのウィスキーが「ウォッカ」であるというのに、少々驚いた。酒に関する知識が薄い私にとって「ウォッカ」と言えば「ロシア」とてっきり思っていたが、アメリカでも製造されていたのだ。店の棚に綺麗に並ぶ瓶の中には、透明な酒が入っていた。「ウォッカ」を買う気にはならなかった私も、その瓶の可愛らしさには魅了され、空の瓶を一本買った。店の奥にはレジのカウンターがあり、「ウォッカ」の試飲が25セントでできる。他の客が小さなプラスティックのカップに入ったウォッカを試しているのを見て、私達も挑戦してみることにした。そのカウンターでは、味付きのウォッカがあり、その種類もかなりある。その中から、「紅茶味」を最初に試飲。一口飲んだだけで、喉にワァーっと熱いものが広がる。だから寒い国のロシア人が飲むのだろうかと思いながら、次は「オレンジ味」に挑戦した。こちらは紅茶味より薄い感じがし、私にとっては飲みやすい。そして、そこにいた店長から町の歴史を少々学ぶ。先に申し上げた黄色い葉が「タバコ」であると教えてくれたのは、この人だ。現在では、このタバコの栽培は厳しく監視されており、全て大きなタバコ会社に販売されているそうである。

 McCormick店を出て、メインストリートにある建物の写真を撮った。最初に目に付いたのが、白いファサードが美しいこのブロック造りの建物。インターネットで調べたら、「The Saint George Hotel」という現在でも営業中のホテルだそうだ。19世紀のウェストンは、色んな所から人が集まってくる都市だったので、このホテルの2階、3階が泊り客の部屋で、1階はサロン、行商人の商品陳列所、タバコを吸う部屋、レストラン等が入っていた。それは現在でも同じなようで、1階は今でもレストランや店が入っていて、2階、3階がホテルになっている。ホームページの写真を見たが、なかなか素敵なホテルである。ホームページは、こちら。http://www.thesaintgeorgehotel.com/




そのすぐ隣にあるのが、このおしゃれな建物。現在は、「Missouri Bluff Boutique」という、高級ブティックが入っているが、元々はウェストンのパイオニアの一人、"Boss" Nobelこと、"Wilson G. Nobel"が1844年に創設した「W.G. Nobel Saddley」というサドル屋から始まった。34年間営業した店は、他の者の手に移り、その後何度も所有者が変わりながら、現在のブティックに辿り着いたわけだが、こうして移り変わりを見ると、やはり一つの事業を維持するのは大変なんだなと思う。現在のブティック、Missouri Bluff Boutiqueのホームページはこちら。http://www.missouribluffs.com/



 その後、ウェストンで最も有名なワイナリー「Pirtle Winery」に向かった。マコーミックの店主の話によると、メインストリートから右に曲がって、突き当たりを左に曲がり、少し行った所にあるという。メインストリートを右に曲がるとすぐに、「バッファロー・ビル」が幼少の頃、夏を過ごしたという家があった。その家はバッファロー・ビルの叔父が所有していたらしい。その通りにも、1800年代に建てられた家がたくさん残っており、B&Bになっている所も多い。突き当たりに、見学したいと思っていたビール醸造社の「Weston Brewing Company」があった。道から見た様子は思ったより小さく、「営業しているんだろうか」と思うような雰囲気である。


Weston Brewing Company の角には、二軒のB&Bがある。イギリスの田舎の家のような佇まいは、「Inn at Weston Landing」だ。このB&Bは、その昔、Weston Brewing Companyの一部で、そのパーラーは「氷の家」だったと言うから、ここに川から切り出した氷を保管していたのだろうか。ホームページの写真は、どれも年代物に見える。週日であれば、2名朝食付きで90ドルというから、都会のホテルに比べれば破格値である。こういった所の朝食は、豪華でおいしいに違いない。インターネットにある観光客の評価もかなり高いので、泊まってみる価値がありそうである。


もう一軒は、「Hatchery House Bed and Breakfast」。ここが「The Hatchery(孵化場)」と呼ばれるのは、その昔、この建物がアパートだった時代があって、若い夫婦が多く住んだこともあり、たくさんの赤ん坊が生まれたからだという。





そこを通り過ぎて、次の角を右折した道に、捜していたワイナリーがあった。インターネットの写真で見た通り、元教会であったブロック作りの建物だ。その隣には、テーブルが置かれた庭があり、そこで食事ができるらしい。建物の前に、どこかで見覚えのある男性が立っていた。夫が私の耳元に、「うちの近所の郵便配達人だよ」と囁く。確かにそうである。そこで、私の方に振り向いた彼に、「郵便屋さん!」と声をかけると、彼も私たちが誰だか分かったらしい。横にいた奥さんに、私たちの住所まで言っている。観光地で出会った人に、自分が住んでいる家の住所を、そらで言われることは、早々あるわけではない。この郵便配達人、なかなかの好人物で、彼らと少々立ち話をした後、いよいよ、ワイナリーの建物の中に入った。



その建物は元教会だけあって、大きな木製の階段を上り、重い木のドアを開けなければならなかった。中は天井が高く、学校のような雰囲気である。アメリカでワイナリーと言えば、カリフォルニアのナパバレーを思い起こすかもしれないが、ミズーリ州にも、かなりたくさんのワイナリーが存在するのだ。ここでは無料のワインテイスティングができる。ワインテイスティング等をするのは、生まれて初めてだった。部屋の片隅にあるワインリストを一枚拾い上げ、ソムリエの前に行く。彼女は、私たち一人一人にワイングラスを用意し、まず最初に最もオーソドックスな白ワインを、グラスに入れた。
「辛すぎず、甘すぎず、クリーンな味」
とソムリエは表現する。なるほど、そうかもしれない。しかし、私にとっては、もう少し円やかさが欲しいところだ。このワイナリーのワインには、いろんな味が付いている。「ラズベリー味」だの、「チョコレート味」等がある。試飲をする度に、リストに点数を付け、最後に購入するワインを決める参考にした。やはり、高いワインの方がおいしい気がする。そんな中から、値段もそこそこで、円やか味のワインを二本選んだ。

ワイナリーを出ると、ちょうど夕食に良い時間帯だったので、食事をするため、「Weston Brewing Company」に行くことにした。Weston Brewing Companyとは、ドイツ人移民のJohn Georgian が1842年に創設したビール醸造会社で、アメリカで最も古いビール工場の一つらしい。彼は冬に川から切り出した氷を地下に保存し、ビール製造のために必要な低い温度を作るという、伝統的な技法を導入した。ここでは毎週土曜日にツアーがあるそうだが、その日は生憎日曜日だったので、ツアーに参加することはできなかった。そこにはレストランとパブがある。レストランの入り口側に回ると、道から見た雰囲気とは一変し、デッキにたくさんのテーブルが並んでおり、食事をしている人達がいた。建物の中に入ると、ちょうど食事を運んでいるウェイトレスが、私たちに声をかけてきて、中でも食事ができるという。建物の中をぐるりと見学した結果、奥の部屋で食べることにした。その部屋は小さめで、他の客はいなかったが、ランプが灯されており、何だか居心地が良い。行ったことはないが、アイルランドの酒場といった感じだ。BGMに流れるアイルランドの民謡が、リズミカルである。そこで私は、ウェイトレスが一番人気であると推薦した「フィッシュアンドチップス」を頼み、夫は「サーモン」を注文した。そして、そのWeston Brewing社製のビールに挑戦してみることにした。そのビールは、普通のビールよりかなり薄く、酒飲みでない私にとっては、飲みやすかったが、夫は「物足りない」と言った。ビールの苦さがおいしさの秘訣なのに、それが足りないと言う。しかし、夫が注文したサーモンはおいしかった。なんだか「照り焼き」のような味なのである。付け合わせのブロッコリーもおいしく、それなら私もサーモンを頼めば良かったと思った。壁に一枚の絵が掛かっている。最盛期のウェストンのダウンタウンの様子なのだが、その奥には、川のようなものが描かれていた。さっき見たダウンタウンに、川は無かったはずなのになと思い、ウェイトレスに聞いてみると、彼女も詳しくは分からないと言う。後にインターネットで調べてみると、ミズーリ川は何度もその流れを変えており、昔は、ダウンタウンの近くに船着き場があったようだ。たった一枚の絵画に、そんな歴史が隠されていたのだ。






レストランを出ると、外はまだ明るく、パブの方にも寄って見ることにした。ドアを開けると、まず地下に続く階段がある。その階段を降りると、右に曲がるトンネルがあった。アメリカで、こんな「歴史」を感じる場所は初めてだった。暗いトンネルの奥にある洞穴のような部屋で、陽気なアイリッシュミュージックを奏でる男が、歌を歌っている。彼の衣装もアイリッシュ風で、観客が彼の歌に合わせて掛声をかけたり、手拍子をたたいたりしている。映画で見るアイルランドのような光景だった。ここでこんなエンターテーメントがあるなら、レストランに行かず、直接このパブにくれば良かったと思った。しかし食事をした後だったので、そこで長居すること無く、家に帰ることにした。10月には、「アイリッシュフェスティバル」がその敷地内で行われるらしいので、また行きたいと思った。ウェストンは、とても良い町だ。