2012年5月13日日曜日

夫の大学卒業式


 ある夜、仕事から帰って来た夫は、同じ会社の従業員の誰かが、会社の奨学金を使って、大学を卒業したことを私に語った。夫の会社は、大学の授業料の大半を肩代わりしてくれるというのだ。会社からの支給額は、成績が「A」であれば、その授業の90パーセント、「B」であれば80パーセントと、成績によって差があるらしい。その話しにかなり感化された夫は、自分も大学に行って学士号を取得したいと言い出す。会社からそれだけの援助があれば、挑戦しない方が損だと思い、私は夫の大学通学に協力することにした。

   成績によって会社からの支給額が変わるというのは、かなりのモチベーションとなったのか、夫は猛烈に授業に取り組む。授業の前には教科書を読み、仕事から帰った深夜、レポート作成に明け暮れる。高校卒業後に行ったコミュニティー・カレッジの単位を、社会人用の大学に移行した夫は、そんな生活を二年程続け、今年の五月、晴れて大学を卒業することになった。

  夫の卒業式は、五月五日。奇しくも、七年前の私の卒業式と同じ日だ。なんだか、不思議な運命の歯車を感じる。そんな風に感慨深く、夫の大学のキャンパスがある、カンザス州オレーサに向かった。

  駐車場に着くと、そこには既に、ガウンを着た卒業生とその家族が、三々五々集まっている。そこで夫にガウンを着用させ、私は張り切って写真を撮った。朝の澄んだ空気の中、ガウンに身を包んだ夫は、とても誇らしげに見えた。

  卒業生には特別の控え室があり、そこで待機しなければならなかったので、私は卒業式会場に、一人で入った。夫の大学はキリスト教系の大学で、式は「サンクチュアリ(聖域)」と呼ばれる教会のような講堂で行われる。仏教徒である夫は、良く「なんでまた、この学校に?」と聞かれたそうだ。とある授業のインストラクターからは、「君は、牧師向きの性格をしている」と言われたこともあるらしい。元来、人の良い夫の性格を知っている私にとって、それは納得できるのだが、それにしても、笑える話しだ。


  式が始まるまで、かなりの時間があり、私は一人、椅子に座って待つことにした。「サンクチュアリ」はかなり新しくて、奇麗である。観客席の長椅子はクッションが深く、かなり快適だ。ふと前を見ると、お祈り用の聖書が、前の椅子の背もたれの箱の中にあり、舞台の上には、ブルー系ステンドグラスに、大きく赤字の十字架が描かれている。夫の説明によると、この学校は「クリスチャン」で、「カトリック」では無いのだそうだ。日本人の感覚で言うと、カトリックも新教徒も「クリスチャン」で、そういう立て分けはおかしいと思うのだが、どうやらアメリカ社会で「クリスチャン」とは、一般的に新教徒を指すらしい。

  卒業式会場にやって来た人達の服装を見ていると、かなり興味深い。スーツを着た男性も入れば、ラフなジーンズ姿の人も居る。夫の話しでは、卒業生の中にも、短パンで登場した人がいるそうだ。こう言った「概念に捕われない」のが、アメリカ社会である。私は無難に、茶色のワンピースにピンク色のカーディガンを羽織った。花束や「卒業おめでとう」と書かれた風船を持参している人達を見て、夫の卒業祝いを何も用意していない自分に気付いた。

 卒業式は、オーケストラによる演奏から始まった。まだ沢山の父兄が、席に着こうと出入りしていたので、そのワサワサとしさ喧騒に、かき消されそうだった。しばらくすると、学長のような人の挨拶があり、私の右横の通路から卒業生達が入場し、私は夫を間近で見つけることができた。



 キリスト教系の大学だけあり、式の半分くらいは、「お祈り」や「賛美歌」という内容で、州立大学の私の卒業式とは、かなり違う。こうした違いを見ていると、自然と自分の卒業式を思い出す。私の卒業式で最も心に残っているのは、ある女性教授のスピーチだ。その教授は、「留学生の方は、立ってください」と言った。周りの英文学部のクラスメート達の視線をひしひしと感じながら、私はすっくと立ち上がった。英文学部の卒業生に留学生が居るのを知り、驚いた感じだった。
「彼らは言語の壁と戦いながら、ここに卒業を勝ち取りました。」
その言葉に、卒業生からも父兄席からも、嵐のような激しい拍手をもらった。それまでの言葉で表しきれない程の努力と苦労を、この時ほど、誇らしく思ったことはない。その教授のスピーチは、私の心の中に残り、これからも一生忘れることは無いだろう。

 夫の卒業式の中にも、素晴らしいスピーチがあった。「過去でもなく、現在でもなく、未来を見据えよ」という内容だった。この卒業で得られる未来。夫は会社の奨学金で大学に行き、卒業後も仕事を変えることなく、同じ会社で働き続けるので、卒業したからと言って、それほどの変化があるわけでもないと思っていたのだが、夫のクラスメートの中には、この卒業で、かなりの昇給をもらう人がいるらしい。夫自身は、「大学院にも行こうかな」と言っている。私が夫に出会った頃、彼が「大学院」に行くことを志望するなど、想像もしなかった。人生とは、本当にわからないものである。

 さていよいよ、卒業証書授与の為、卒業生全員の名前が読み上げられる。予行演習に行っていた夫が、「自分の名前は、最初の方で呼ばれるはず」と言っていたので、この段階に入って、私はそわそわし出した。夫の晴れ姿、シャッターチャンスを逃すわけにはいかない。そこで、図々しくも、通路側に出て、座ってシャッターチャンスを待つ事にした。そこまでしている父兄はいない。いやしかし、人目など構っていられる時ではないのである。夫の名前が呼ばれ、私は何度もシャッターを押した。しかし、薄暗い講堂の中の光だけでは、なかなかシャッターが切れず、もどかしかった。アメリカの大学の卒業式では、この名前を呼ぶのが最大のクライマックスで、名前が呼ばれる度、家族がどっと拍手するのはもちろん、中には楽器でジャンジャカ音を出す人もいる。なので、私も拍手くらいしたかったのだが、いや私の今の使命は写真を撮ることと思い出し、写真撮影に専念した。壇上左上にある大きなスクリーンに夫が映っている。どうにか学長の前にいる夫を写真に収めることに成功した。

 最後に卒業帽についているタッソルを、右から左に移すという儀式が行なわれる。これで正式に卒業したと言う印になる。そして卒業生退場。これで卒業式終了だ。


 私が外に出ると、夏のような太陽の光が眩しい、雲一つ無い快晴だった。講堂前は、沢山の卒業生とその家族でごった返している。私は夫を見つけようと、きょろきょろしながら階段を降りた。「いない、いない」と確認しながら、歩いていると、親戚一同に囲まれて写真を取られている夫を発見した。


夫の親戚は多い。「親戚」と呼ぶ範囲は、日本の私のものより、遥か彼方まで拡がっており、夫の母でさえ、「え~、あの人の名前なんだったけ?」となるほど、親戚の寄り集まる機会には、沢山の人々が訪れる。そこで、この日も多くの親戚が集まった。(これでも全員勢揃いでは無い。)代表的な人々を紹介すると、


と、妻の私はどうでも良いのだが、


夫の姉の二人の娘達。二人ともかなり可愛い。(と、叔母の私は思う。)



髪の毛をヒラリンとしているのが、夫の姉で、その横は母。私はこの写真、絶好のシャッターチャンスだったと思っている。



光の具合が結構気に入っている、パパさんの写真。なんだか映画の一シーンのよう。



彼女のFacebookに"My super model!"と私が投稿した、姪の写真。彼女の将来は、とても楽しみ。



喜びいっぱいの両親。これは良い写真だと思う。

こうして卒業式は終了し、大学キャンパスを後にした。

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