2011年5月2日月曜日

ボニーブルック歴史協会、及びキューピー博物館


 この日最初の予定は、私が前々から行きたいと夫に言い続けてきた、「キューピー博物館」の見学だった。ブランソンのすぐ北に、日本でおなじみ「キューピー」の作者、「ローズ・オニール」が晩年を過ごした家「ボニーブルック」が、復元されて残っている。上の絵が、オリジナルのボニーブルックだ。古いキューピー人形にも興味があったが、「ローズ・オニール」本人もずいぶん波瀾万丈に飛んだ興味深い人生を送ったらしく、それに家自体が、緑美しい自然の中にあるので、ぜひ見学したいと思っていたのだ。途中、ブランソンの「半額チケット」という言葉に惑わされて、また寄り道をし、少々時間がかかったが(この件については、後ほどじっくり語ります)、前日は私達のねぐらであった夫のトラックに乗って、キューピー博物館に向かった。

 ローズ・オニールの家はハイウェイを降り、緑に包まれた小径を少々走った末にあった。最初に入った建物はビジターセンターで、そこでチケットを購入し、いよいよツアーが行われるローズ・オニールの家に向かう。家の中に入ると、ガイドの女性が私達夫婦と、同じツアーに参加した男性二人組を迎えてくれた。男性二人というのが、私にとって、少々不思議だった。私の夫のように「キューピーマヨネーズがある日本で生まれ育った妻」を持つなら話しは分かるが、若い男二人。それも地名は忘れてしまったが、どこか遠い州から遥々やって来たという事だ。一人はビデオ、もう一人は写真のカメラを抱え、ブロガーの私並みに、熱心に記録している。この熱意は異常だ。使命に燃えている。この日は、年に一度キューピーファンが集まる「キューピー・フィエスタ」が行われた週だったので、キューピークラブの会員なのかもしれない。キューピー人形のコレクターは多く、オークションでも高値で売られるらしい。



 ツアーは、キッチンから始まった。ガイドはまず、その家が「幽霊に取り憑かれて」いて、テレビ取材された事を語った。火事で全焼し、20世紀になってから新しく再建された家なのに、なぜ幽霊が住み着くのか、私には不思議だったが、その姿形は全く見えず、音も聞こえず、恐い思いはしなかった。至る所に、ローズの作品が飾ってある、可愛らしいキッチンだった。

 リビングルームに移り、ガイドはローズ・オニールの人生と、彼女の家ボニーブルックの歴史を語りだした。ローズ・オニールは、1874年ペンシルベニア州で生まれ、幼少の頃、家族と共にネブラスカ州オマハに移る。八人兄弟の第二子で、幼い頃から美術の才能を発揮したローズは、14歳の時、オマハの「ワールドヘラルド」という新聞会社のコンテストで、見事賞を取る。しかしあまりにも熟した才能を示した作品を提出したため、審査員はローズの技量を確認するため、彼らの前で実際に絵を描かせたという。結果と言えば、ローズが5ドル金貨を受け取った。

 ローズ18歳の時、娘をニューヨークの美術学校に送ろうとした母は、学費捻出のため、シカゴで牛を売る。ニューヨークでもトップクラスのイラストレーターになったローズは、大企業の広告や雑誌にイラストを売るが、そんな彼女でも、女性であることを公開できなかったそうだ。その当時のアメリカでは、女性が男性と堂々と肩を並べて、社会で生きていく事は、まだ出来なかったのだ。家の見学の後に行った博物館には、「女性参政権運動」をしているローズの写真があった。女性というだけで、肩身の狭い思いをさせられたローズは、筋金入りのフェミニストでもあったようだ。因みにローズは、アメリカで最初の女性イラストレーターだったらしい。

 ローズの家族はネブラスカ州からミズーリ州オザーク高地に移り住み、ローズはそこを訪れると、その自然の美しさを深く愛し、長期滞在するようになる。イラストレーターとして成功したローズは、家族に仕送りし、「ボニーブルック」は、少しずつ増築され、最終的には三階建て、十四部屋を有する大邸宅となった。

 二度の結婚と二度の離婚を経験し、パーティー狂であったローズの家には、常に誰かが寝泊まりし、それが何ヶ月にも及ぶ事もあったそうだ。1909年の「キューピー」誕生後、ローズはとてもお金持ちになった。雑誌、食品会社等がこぞってキューピーを採用し、社会現象にまで発展し、ローズは、ニューヨーク、コネチカット、イタリアに家を持つようになる。パリで個展を開き、大成功も収める。

 しかしそんなローズも、浪費と、写真の進出でイラスト自体が時代遅れとなったせいで仕事を失い、晩年は貧しい生活を送ったそうだ。スプリングフィールドの甥の家で亡くなったそうだが、この甥が、彼女の美術品を全て彼の家に運び込み、その二日後、ボニーブルックは火事で完全に焼失する。ガイドの話しでは、ローズの弟による放火説があるそうだ。そんなにタイミング良く、火事が起こるというのは、さすがに怪しい。何か世間に知られたくない物が、この家にあったのだろうか?ガイドは、家がカビにやられ、崩壊しかけていたので、放火したという説があると言っていたが、本当のところを知っている人は、もう存在しないのだろう。

 

キッチンの次に、リビングルーム、音楽ルーム、書斎など、一階の部屋を見学した。所々に、ローズのイラスト入り家具があり、写真に収めた。壁には、もちろん彼女のイラスト入り額縁が飾ってある。

二階は寝室用になっていた。ローズが使っていたベッドルームには、キルト布団がかけられたベッドがあった。




外に通じるドアがあり、ポーチに出てみると、広い庭が下に見えた。そこにはローズが作製した銅像があった。ローズは本当に芸術の才能があった人で、私達日本人には「キューピー」のイメージが強いが、彫刻や、ずいぶん違った種類の絵画を数多く残しているのだ。



 廊下の末に、陽光が射している窓があった。そこで写真を取ると、心霊現象が写ると、例のゴーストテレビが承認したそうだが、私が取った写真には、そんな物は影にも写っていなかった。



 一番上の階には、ローズの仕事場があった。緑色に壁が塗られているが、その当時もそんな色をしていたのだろうか?なんだか現代的な気がする。アメリカのこうした「古い建物」に行くと、中が新しく塗り替えられている場合が多い。もちろん、ボニーブルックは火事で全焼し、復元された家なのだから、新しくて当たり前なのかもしれないが、本当の歴史保存とは言えないと、私は思う。



 仕事部屋には、ローズの作品や写真が沢山あった。ローズが実際に使っていたキャンパス立てもあり、そこには絵の具が付いていた。ガイドの話しでは、彼女の三十一歳の息子が、誰も居ないその部屋で、物音を聞いたそうだ。それ以来彼はそこに一人では絶対行かないそうだが、私達にはそんな音は聞こえず、私は思う存分写真を取った。こうしてボニーブルックの見学は終了し、この後、博物館の方に移った。















 博物館は、入り口にギフトショップがあり、左に曲がると、鏡ばりの陳列ケースに入った古いキューピー人形があった。ローズ生存中は、ドイツの会社でビスク焼き人形が数多く作られたそうだ。それらは私達日本人が知っている「キューピーマヨネーズ」のキューピーとは、かなり違う。日本のキューピーは、やはり「アニメ化」されていると思う。人形のキューピー達は、ローズ・オニールが描いたキューピーともかなりかけ離れているように、私には思えるのだが、ローズが実際にドイツまで赴いて作られた人形なので、彼女はそれで良いと思っていたのだろう。大きな人形は、何かに取り憑かれているような恐ろしい形相をしていると、私は思うのだが。(こんなことは、現地ではとても口に出来なかった。)しかし、陳列ケースに入った小さな人形の中には、原画に近いキューピーも沢山あった。ガイドが、値段が書かれた本を見せてくれたが、「エーッ」と驚くほどの高値である。小さな置物でも、何千ドルもする。現在は製造されていないアンティークとはいえ、その値段には驚かされた。






 その奥には、ローズの絵画がある美術館になっていた。入り口で一枚写真を取ると、ガイドが「そこでは写真撮影禁止になっているのよ」と私に注意したので、その後は写真を取っていない。



私が三十分ほど観察した限りでは、ローズの作品には三種類ほどあると思う。一つは、食品会社や女性雑誌用に描いた、コマーシャル向けのイラスト。これが、ビックリするほど、「上手」なのである。と、素人の私に評価されるのは、ローズにとって侮辱にも通じるかもしれないが、キューピーとは全く違った、パリのイラストレーターの作品かと思うほど、素晴らしい作品を数多く残している。写真を取れなかったのが残念だ。

 その次には、「愛」をテーマにした、ずいぶんどんよりした(ドロドロした)作品。男女が抱き合った物が多い。こっちの作品は、もう少し男性的な、大胆な筆使いで、荒々しい印象を受けた。こちらは、もっと「美術館向け」といった感じだ。(例えば、こんな感じ。下の写真は、ローズの家にあった彼女のスケッチです。)



そして最後のカテゴリーが、もちろん「キューピー」。





(こちらの写真も、ローズの家で取りました。日本のキューピーとかなり違うのが分かりますか?)

これら全てが、同じ芸術家から創作されたとは思えないほど、全く違うのだ。こういった意味で、ローズ・オニールは、ずいぶん奥の深い芸術家だと私は思う。

 この後、建物の反対側にある場所で、「ガレージセール」のようなキューピー人形販売所があったので、そこで日本のキューピーを2ドルで購入した。ガラスケースに陳列してある古いアンティーク人形とは違い、こちらは、本当にガレージセールのようだった。その他にも、キューピーの小さな本を一冊買い、博物館を後にした。

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