2010年6月30日水曜日

憧れの自由の女神



この日はニューヨーク観光最終日で、翌日は飛行機に乗って、カンザスシティーに帰らなければならなかった。私が見ている朝のニュース番組「トゥデイ」では、この日「トヨタコンサート」が行われる予定だった。トヨタが主催者となって夏の金曜日、有名なアーティスト達の野外コンサートを行うのだ。このコンサートは無料で誰でも参加できるのだが、なんせ早起きをしなければならない。前日の夜、このコンサートについて少々夫に語り、行ってみたいか問うてみたが、「状況次第」と言うことだった。当日の朝、そんな余裕は当然なく、ホテルのテレビに映る画面を見た私は「このコンサートに行けたのにね。全国テレビに映るチャンスだったのにね」とぼやいてみた。

ニューヨークの私たちのホテルにキッチン等無く、朝食も付いていなかったので、私たちはこの日も、朝食を求め、ニューヨークの街を歩き出した。こうして歩いていてベーグル屋でも見つけ、ニューヨークな朝食を取りたいところだったが、なかなかそんなおしゃれな店は、見つからない。いい加減諦めて、薄暗い喫茶店のような場所で、朝食を食べた。

この日の最大の目的は、「自由の女神」と「エリス島」に行くことだ。前日買ったダブルデッカーバスは二日間有効だったので、バスに乗ってフェリー乗り場まで行くつもりだった。雨が降って来たので、途中、「ウォールグリーン」で傘とレインコートを買う。そこからバス乗り場を捜した。バスを待っている間、目の前を、何やらインド系らしい人達のパレードが通過する。豪華な山車を引き、カラフルな衣装を着た人達は、ずいぶん華やかに見え、私は陽気に写真を取り出した。しかし、そのパレードは延々と長く、のろのろ歩くパレードの後ろについたバスに乗る気にはならない。そこで夫はもう少し先を歩いて、別のバスに乗ろうと提案した。そこで、南に向かって歩き出す。しばらくすると、「フラットアイアン・ビルディング」が見えてくる。その前で記念撮影をした。先がずいぶん細くなったビル。ニューヨークの観光名所が見れて、「歩いてみるのも良いものだ」と、思った。



しかし、これは大きな間違いだったのである!バス路線に沿って歩いているつもりが、いつの間にか路線から1本か2本離れた道を歩いており、いつまで経っても、私たちのダブルデッカーバスが通らない。いい加減、頭に来た。いつまでこうやって歩いていなければならないのか!地図を確認して、軌道修正をした時は、既に「ワシントン・スクエア」の人ごみが見えた。そこからソーホーまで歩き、あまりにも頭に来ていたので、夫に怒りを爆発させて、近くにあったカフェに強引に入った。もう、ダブルデッカーバスになど乗らなくてもいい。一人でタクシーを捕まえて、乗ってやる!と、ほとんど泣き出さんばかりの勢いだった。テーブルにつき、アイスティーを注文し、待っている間、なぜ私がこんなに怒り狂っているのか、全く理解していない夫を相手に、強引に「ごめんね〜」と謝らせるビデオを撮った。



「バス停はすぐそこだよ。こんな所で油を売っているより、早くバスに乗ろう。」
その言葉に騙されて、これまで延々と歩き続けたのではないか!私は、夫の言葉を信じず、アイスティーを飲み続ける。ブルブルと首を横に振り続ける私を説き伏せて、夫はカフェの外に、私を引っ張りだした。本当にバス停は、すぐ近くにあった。

やっと乗ったバスのガイドは、「自由の女神行きのフェリーは、確か3時半までだから、走った方が良い」と私たちに言う。その時既に、3時27分くらいだった。えっ、そんな!ここまで来て、自由の女神が見れないなんて、そんなのあり得ない!最寄りのバス停で飛び降りた私たちは、フェリーのチケット売り場がある、バッテリー・パークまで走った。「エリス島」込みのチケットを2枚購入し、人ごみをかき分けて、乗船者のセキュリティーチェックポイントに行く。ここまで来て、なんとか船に乗れそうなのが確認でき、やっと安心する。あのバスガイドが言っていた3時半というのは、ガサネタだと思った。まだまだ全然余裕である。私たちの後からも、たくさんの人がやってくる。こんなのなら、あんなにがんばって走る必要も無かった、と思った。しかし、このバスガイドの情報も、まんざら嘘ではなかったのである。

念願かなって、やっと乗ったフェリー。小雨が降り寒かったが、外のデッキで自由の女神を発見したかった。フェリーがマンハッタン島から離れ、しばらくすると、自由の女神が見えてくる。島の周りに、観光客がたくさんいるのがわかる。この頃になると、乗客全員、自由の女神の写真を撮ることに躍起になり、私も自由の女神を背景にした夫の写真を撮ろうとしたが、周りの観光客が多すぎ、うまく写真が撮れなかった。




やがて船はリバティー島に到着する。船着き場では、この次のエリス島行きのフェリーに乗る乗客が、長い列を作って待っていた。夫はまず、フードコートに行き、ハンバーガーを注文した。ここまで来てハンバーガーを食べなければならないのかと思ったが、どうやら、そうらしい。店内はあまりにも込んでいたので、雨が降っていたが、外で食べた。結構おいしいハンバーガーだった。この後、島を一巡する。雨が降っていたので、私は、黄色のレインコートを着ていた。自由の女神は、近くで見ると、ゴッツイほど大きく、背が高い。女神のトーチの先まで背景にいれ、人物を入れて写真を撮るのは、難しいと思った。夫がビデオを撮りながら、一段高い所にいた。ちょうど、女神も夫も入る構図だったので、写真を撮った。少々満足であった。

私たちが旅行に出かける直前、この自由の女神の展望台への階段が、公開されることを、テレビで報道していた。この階段は2001年9月11日のテロ事件以来閉鎖されていたのだが、2009年7月4日を機会に、再びオープンされるということだった。しかし人数制限があり、さらに予約が必要だという。自由の女神の台座の部分には博物館があるらしいが、私たちは行かなかった。確か、この博物館に行くのにも予約と人数制限があったと思う。

リバティー島を一巡すると、私たちは、ギフトショップに行った。そこには、自由の女神のTシャツ、レプリカの小さな像、マグカップ等、あらゆる土産物が揃っている。アメリカ人の夫は、こういうギフトショップが大好きである。どうやら、こういう土産物は、アメリカ人の心の琴線に触れるらしい。私にとっては、一見何の変哲もないような物を、飽きることなく延々と楽しんでいられるのである。なので、辛抱強く、夫の買い物に付き合った。フェリーの時間が気になったが、「こんなにたくさん人がいるのだから、まだ時間があるのだろう」と思った。

しかし!これが大きな間違いだったのである!ギフトショップを後にし、船着き場に行くと、「エリス島」行きのフェリーは、今さっき出たばかりのが最後で、この後の船は、マンハッタン島に戻ると言う。そんな惨い!あまりにも酷過ぎる!カンザスシティーから、わざわざエリス島を見にやって来たのに!私にとっては、そこにある移民博物館に行くことが、実は自由の女神に行くことよりも、遥かに大事なことだったのに!チケットまで買ったのに!最後にそこに向かう船尾を見ながら、行くことができないなんて、ああ、何たることか!そこにいた船会社のスタッフの首を締めて、揺さぶりたい気分だった。(もちろん、そんなことはしなかったが。)しかし、それならそうと、チケット売り場の人が教えてくれても良さそうなのに。「エリス島行き最後の船は、○時○○分です」と、一言いってくれれば、こんなことにはならなかったはずだ。それともリバティー島で、館内放送でも流してくれれば、なんとしても最後の船に乗ったのに。あ〜だ、こ〜だと、考えてみても、結局は後の祭りである。あ〜、それにしても、悔しくて仕様がない。私がこんなにも、エリス島に行きたかったのは、旅行前に、そこの博物館についての特集番組を見たからである。その博物館は、アメリカの元移民局で、ヨーロッパからの移民達は、全員そこを通ってからしか、アメリカ本土の土を踏むことができなかったという。私のアメリカでのステータスも、「移民」である。アメリカ人と結婚し、グリーンカードを保持しているということは、「移民」ということなのだ。私がグリーンカードの申請で面接を受けた時、これまでもっていた学生ビザの延長である一年間の労働許可証が没収され、そのかわりに違う書類が渡された。その書類に「移民」という言葉を見つけた。「ああ、私は移民なんだ」と思った瞬間である。「移民」と言うと、なんだか他人事のように聞こえる。「流浪の民」といったイメージがある。実際、私のそれまでの人生は、そんな物だったかもしれないが、自分では、そんなつもりは無かった。ただ、その日その日を、一生懸命生きて来ただけだ。だから、その移民博物館に行くことには、特別な意味があった。祖先の何人かが、エリス島の移民局を実際に通ったであろう、アメリカ人の夫よりも、私には深い思い入れがあった。その博物館に、行くことができなかったのである。しかし、仕方が無い。私は、殺人を起こすこと無く、ずいぶんくさくさしていたが、マンハッタン島行きの船に乗った。

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