2012年9月24日月曜日

アーカンソー州バッファロー・ナショナル・リバー4/ゴーストタウン・ラッシュ


 食料品をキャビンの冷蔵庫に入れ、かなり日の入り時間に近づいていたが、旅の時間は無駄にできぬと、キャビンから5マイルほどの「ラッシュ」というゴーストタウンに行った。地図は持っていなかったのだが、ドライブ中に「ラッシュ」の道標を見つけていたので、その方向に行けば見つかるだろうと思っていたのだ。角を曲がってすぐにあると思いきや、これまた延々と舗装されていない曲りくねった田舎道を走る。この地方では、「道標があったらそのすぐ近くにある」という概念は、捨てなければならないということに気付いた。都会に住んでいる人とは距離感がかなり違うようだ。「あそこの角を曲がってそこにある」ということは、「角を曲がってそこから5マイル、10マイルと走ったら見えてくる」と予測した方が、時間配分上、自分が後で苦労しないという事がわかったと言えば良いか。

 「ラッシュ」という地名は、「ゴールドラッシュ」のように、この地方で亜鉛が発見され、人々がこの地方にラッシュ(押し寄せる)したことに由来するらしい。1880年代に亜鉛が発見され、ピーク時の1910年代には五千人がこの山間に住んでおり、一日に二百トンもの亜鉛が採掘されたということだ。第一次世界大戦で、亜鉛の値段が急高騰し、ここには採掘会社の他、ホテル、郵便局、学校、店など、町として充分機能できる施設があったというから、驚きだ。町の店の主人は結婚式を挙げるライセンスも持っており、村の中で正式に結婚式があげられたそうだ。現在ここは、国立公園になっており、これら崩壊しかかった古い家は、保護されている。


 このトレイルは、午前中に行った「インディアン・ロックハウス・トレイル」とはかなり違って、車で中を行く事ができる。誰でも行けるし歴史も学べるので、お勧めだ。



 これは、「モーニング・スター採掘会社」の溶鉱炉。ここで掘り出した鉱物を溶かし精錬した。




 この崩壊しかかった様相から想像するのは難しいのだが、上の写真は、Taylor-MedleyStoreという店で、この村の社交場の一つだったようだ。ここは郵便局も兼ねており、切手を買ったり、郵便を出したり、受け取ったりできた。ここの主人は結婚式を司ることもできた。




 これがその当時の様子。店の前のポーチに村人達がくつろいでいる。このゴーストタウンから想像できないのだが、ここでソーダ水を飲んだり、ゴシップに花を咲かせていたのではないだろうか。村人達は、ここで食料品を買っていたということである。



 これが最後の店主Lee Medley。郵便局事務所になっている場所で、後ろに見える小さなボックスは、私書箱だろう。こうしてみると、本当に機能していた町だったのだ。この店は1956年に閉店された。



 村の鍛冶屋。この当時、鍛冶屋は無くてはならない重要なビジネスだったようで、馬車の部品や馬の蹄鉄を作り、販売していたようだ。今で言えば、自動車部品のメーカー及び販売といったところだろうか。現在は存在しないが、この右側に部品を保存する倉庫があったそうだ。




 馬に馬具を着けているようである。




 鍛冶屋のすぐ近くに採掘会社の店と事務所があった。現在は残っていないのだが、この写真の左側が、Chase and Mulholland Storeで、右の建物がMorning Star Mine会社の事務所だ。1915年には83名がこの会社で働いており、炭鉱夫達は、この店で買い物をし、その支払いは給料から差し引きされたようだ。この建物は1920年後半まで使用されていた。




 実際に働いていた炭鉱夫達。亜鉛は黄色く、「七面鳥の脂肪」と呼ばれていたそうだ。



 これも想像するのが難しいのだが、これは製造所跡だ。ここで一日に二百トンの亜鉛が精錬された。1898年に建設され、蒸気で稼働させていたようだ。




 写真上は、1916年に行なわれた洗礼式の様子。こうして実際に川で水に浸り、洗礼を行なっていたようである。下の写真は、ラッシュにあった学校の生徒と先生達。




 一通り公園内にあるスポットは全て見て、奥の方までドライブした。走っている途中、川が見えた。あそこで洗礼式を行なったのだろうかと思った。更に走ると、キャンプ場があった。多分ここのキャンプ場はシャワーやトイレが無いのだろう。こういう風に、”Primitive camping"というのがあるが、シャワーもトイレも無しに、どうやってやっていくのだろうかと思う。

 行き止まりまで来ると、Buffalo National Riverのサインがあり、川まで降りられるようだった。そこで車から降り、歩いて川の岸辺まで行った。そこには水着を着た女性が一人居て、迎えの車を待っているようだった。彼女に「泳いでいたの?」と聞くと、「ええ、気持ちよかったわよ」と言う。そこには結構深い水があった。水に触ってみたが、結構温かい。すると、どこからかトラックがやって来て、カヌーを引き上げていた。ここはカヌーの到着地でもあるようだ。そこで夫は、そのカヌー業者に話しかけた。彼がくれた名刺にある電話番号に電話すれば、予約できるということだ。彼の話す英語は、私には少々聞き取りにくかった。ミズーリ州で「この英語わからない」ということは滅多に無いが、一つ南の州アーカンソー州まで来ると、かなり発音が違う。南部に居るんだなあと思った。

 こうして私達はキャビンに向かった。

2012年9月23日日曜日

アーカンソー州バッファロー・ナショナル・リバーへの旅3/イエルビルのバーベキューレストラン



 ハイキングの後は、イエルビルのダウンタウンまで行き、RazorBack Ribsというバーベキューレストランで「リブ」を食べた。


写真の中で後ろにあるのは、オクラのフライ。南部では何でもフライにするのか、こういう料理は多い。


 こちらはピクルスのフライ。食事はどれも美味しかった。

 給仕してくれた若いウウェイトレスに、町の様子を聞いた。この町には「ウォールマート」とスーパーが一軒あるそうだ。私達が宿泊したキャビンから13マイルで、やっとこれだけの規模の町に出れるということだ。

 この後、スーパーに行って、食料品を買出しした。結構大きなスーパーで、品ぞろいの多さに驚いた。夫の会社の食料品も売っていた。しかし、テレビの無いキャビンに滞在しているので、映画のビデオでも借りられればと思ったのだが、ビデオレンタルは、どこにも無かった。

2012年9月22日土曜日

アーカンソー州バッファロー・ナショナル・リバーへの旅2/インディアン・ロックハウス・トレイルをハイキング!



 バッファロー・ナショナル・リバー付近には、美しいトレイルが沢山ある。その中で私が最も興味を持ったのが、この「インディアン・ロックハウス・トレイル」である。幸いな事に、このトレイルは私達が滞在したバッファロー・ポイント近くにあり、最初のアクティビティーは、このトレイルをハイキングすることにした。


 その前に、パークレンジャーオフィスに寄って、情報を収集することにした。この後にカヌーもしたいと思っていたのだが、実際どの業者に頼めば良いのか、わからなかったのだ。私達に対応してくれたパークレンジャーは、とても親切に川の水の高さとか、天気予報等、地元の情報を教えてくれた。そこで彼に頼んで、事務所前で写真を撮ってもらった。



 実際のハイキング前にもう一軒、Wild Bill's Outfitter (http://www.wildbillsoutfitter.com/index.htm) という店に寄っている。ここで私達はハイキング用にそれぞれ新しい帽子を購入した。この店のオーナーは、キャビン経営とカヌーの運搬業もやっている。この地元では便利な店で、最低限必要な物は、ここで間に合いそうだった。ここで「バーベキューサンドイッチがある」と言われた夫は、もちろんその申し出を断ること無く、外のテーブルで食べることにした。

 ハイキング入口に到着し、やっとハイキング開始!と思いきや、なんと反対方向に進んでしまい、違うトレイルを歩いていた私達。それはそれで美しかったのだが、そこは私が行きたかった「インディアン・ロックハウス」ではない。歩いているうちに、またまた道を間違え、気付けば「パークレンジャー事務所」が見えるではないか!ああ、なんという時間のロス。がっくりだったが気を取り直して、またハイキング入口に戻り、今度は本道、「インディアン・ロックハウス・トレイル」にやっと入った。トレイルをグングン下に下りていく。下りるということは、帰って来るときに「上らなければならない」んだなあと思いながら歩いていた。最初の目印は、「Sinkhole Icebox」という穴だ。私達が訪れた時は、例年にない異常な水不足の時期で、この穴は乾いていた。特に興味も無く、次のスポットに移る。



 そこは、上の写真の「滝」だった。しかし、ここも水が殆ど無い!岩の上から、ポタポタ水が滴り落ちるという感じだ。それでも水があったことに感謝した。パークレンジャーは、「多分、滝に水は無いでしょう」と言っていたからだ。




 夫がどう思っていたか知らないが、このハイキング、結構良い運動である。景色は美しいが、上り下りが多い。




 滝からしばらく歩くと、「見捨てられた坑道」という穴がある。1880年代に亜鉛が発見され、この地方の人々は、一攫千金を狙い自分達の土地を掘り出したそうだ。しかし大抵は途中で諦め、このような見捨てられた坑道が残されたと言うわけだ。しかしここから八マイル下流の「ラッシュ」には、大規模な採掘会社が一日に二百トンもの亜鉛を掘り出していたという事である。

 「見捨てられた坑道」からしばらく、トレイル右側に「パンサー・クリーク」という、石がゴロゴロある場所を通る。多分、水がある季節ならここは小川になっているのだろうが、今年は異常な水不足で、ここには水が全く無かった。



 ここを通り過ぎると「小さな洞窟」が出てくるのだが、ここでなんと、他のハイカー達に出会った。ハイキングを始めてから人に出会ったのは初めてだったので驚いた。アーカンソー州のどこかの街からやって来た夫婦で、身体が少々麻痺している妻は、杖をついていた。健常者でも結構きついハイキングコースなのに、こんな所に歩いてやってくるとは驚いた。私達よりも早くスタートした彼らは、大きな岩があるこの場所で休憩していたが、夫の方が言うには、この「小さな洞窟」を最終目的地の「インディアン・ロックハウス」と勘違いしていたようだ。そこで私が、「いやいや、これは『小さな洞窟』で、『インディアン・ロックハウス』はもっと奥にあって、これよりも遥かに大きいはずだ」と言った。そして私がインターネットからコピーした地図を取り出して説明すると、彼はパークレンジャー事務所で貰った彼の地図と見比べて、「君の地図の方が詳しく描いてある」と言った。私は旅行を始める前にYouTubeのビデオ (http://www.youtube.com/watch?v=k737X0tlT2o) を見ており、「インディアン・ロックハウス」がどんなものであるか、ある程度知っていた。だからすぐここが最終目的地では無い事がわかったが、知らなかったらこれでお終いと勘違いしたかもしれない。こういったトレイルでは、周りに助けてくれる人が居ない為、ある程度の予備知識を持って出発した方が良いと思った。この「小さな洞窟」でしばらく写真を撮り、この夫婦に別れを告げて、私達は出発した。


 「小さな洞窟」から少し行くと、分かれ道に出た。そこには道標があり、私達は「インディアン・ロックハウス」の方に歩いていった。その先には黒く固い道があり、私は「まあ、ここからはアスファルト舗装の道なのね」と思ったが、本当は巨大な黒い岩だった。この地方の土地質が「岩」なのだ。なのでトレイルはその岩の上を歩く事になる。横には小川になるべき溝があったが、水は全く無かった。大きな岩の上に寝転がった夫は、「写真を撮って」と私に頼んだ。


そこから少し歩いた所に、やっと「インディアン・ロックハウス」があった。ここは、元々ネイティブ・アメリカン達が住んでいた洞窟だ。巨大な岩に穴が開いていて、そこがシェルターになっている。ここなら住めると思った。雨を凌ぐ屋根はあるし、洞窟の奥からは水が流れる音がする、ということは、下に小川があり、水があるのだ。洞窟内部から外を見ると、緑が美しい。左の方には、針の目のような穴が開いた岩があった。



 小川に降りて行くには、かなり急な崖を降りなければならず、体力に自信の無い私は、そんな事にチャレンジしようとは、微塵も思わなかった。



 このインディアン・ロックハウスを出発し、元来た道を戻っている時、「小さな洞窟」で出会った夫婦に再会した。身体に障害がある妻も、夫に支えられながら歩いてやってくる。彼らが諦めずにやって来たことが嬉しかった。ここまで来たら、あのインディアン・ロックハウスは見るべきだ。「あともう少しだから、頑張って」とその夫婦を励まし、私達はあの「分かれ道」に向かった。

 ここからが、問題なのである。地図を見ると、ここから「右」に曲がらなければならない。しかし私が見たところ、その右側は、水があれば「小川」になる場所なのである。旱魃で今は水が無いが、水が多い季節なら、こんな所を歩けるはずが無い!と勝手にセオリーを作り上げた私は、夫の「でも道標には、こっちって書いてあるよ」という言葉を押し切って、前にある、あの巨大な黒いアスファルトのような道を歩き出したのだ。そっちの方が、よっぽど快適なトレイルに見えた。しかし登るに連れて、だんだん道らしく無くなってくる。これはやっぱり、あのクリークを通って行かなければならなかったんだと思った時は、かなり上り詰めた後で、また降りて方向転換する気にはなれなかった。なのでひたすらその道を上に歩き続けたのだが、私はかなり不安だった。こんな所で迷子になったら、誰も助けに来てくれない!生きて帰るには、自分の足でここから脱出するしかないのだ!かなりドラマチックな考え(例えば、映画で見たような山の中の遭難シーン)が、頭の中をチラチラする。一方で私の勘違いの被害者の夫は、意外と楽観的で、「大丈夫だよ。この上を登って行けば、最初のトレイル入口付近に着くはずだ」と言っている。彼の言葉だけを頼りにひたすら歩き続けるが、かれこれ三時間近く休み無く山道を歩き続けているのだ。私はかなり疲れていた。「あ~、休憩は必要!」と思った時、夫が「あ、あそこは最初の「Sinkhole Icebox」スポットだ!あそこからトレイルに戻れるよ!」と言うのである!見上げれば、見覚えのあるトレイルがあるではないか!ああ、やっとやっと、これで遭難しなくて済む!ありがたや~と思っていると、夫は「自分はずっと、どこにいるかわかっていたよ。最初に歩いたトレイルを見下ろして、右側を歩いていたんだよ」と言う。確かに地図で見ると、その通りだろう。しかし、私にはそれが見えなかった。夫が冷静で良かった。感謝である。

 先に車まで戻った夫が、私を見ている。もう、クタクタだった。あの足の悪い妻は、ここまで戻ってこれるのだろうか?明らかに帰り道の方が登りが多いので、かなりきつい。でもとにかく頑張ろう!と、自分の足で車まで戻った。「あ~!!」と叫びまくっていた。「現代文明に帰還!」とか、訳のわからない事を。車のクーラー!水!動く車!舗装された車道!「あ~~!!」である。こうして私の夫は、少々頭がイカレタ妻を車に乗せ、出発した。

2012年9月21日金曜日

アーカンソー州バッファロー・ナショナル・リバーへの旅1/キャビン到着


 レイバーデーの翌週、九月十日から十五日まで、アーカンソー州にある「バッファロー国定川」と「ユリカスプリングス」を旅した。カンザスシティの自宅からバッファロー国定川までは、車で五時間ぐらい。我が家のドライブ旅行定番となりつつある「おにぎり」と「卵焼き」を持参で出発だ。途中、ガソリンスタンドで休憩を入れ、少々道に迷う。初日に泊まるキャビンは州立公園内にあり、二十四時間フロント係が働いているとは思えなかったので、到着時間が心配になり、夫が電話する事にした。電話に出た初老の女性は、「七時以降に到着の場合、鍵が入った封筒を、ドアの所に置いておきます」と言った。これで少々安心し、ドライブを続ける。

  地図を見ると、ハイウェイを降りて「イエルビル」という町を通り過ぎなければならない。交差点から「イエルビル」まではすぐだと思っていたら、これが結構な距離である。しかし、イエルビルは、とても可愛らしい町だと思った。人口千人くらいの町だろう。ダウンタウンに古い建物があった。私が考えていたコースは、このイエルビルを過ぎれば、すぐにキャビンに着くと思っていたのだが、これがそんな簡単には行かず、そこから曲りくねった田舎道を、ずんずん進まなければならない。かなり走っても、目印らしきものが出てこないので、道を間違えたのではないかと思ったが、私達が曲がらなければならない角は、その先にあった。これまでの人生の中で、こんな奥深い僻地まで来たのは初めてだった。

 「狩猟禁止」の看板近くに、鹿が数匹居る。「鹿がこの看板かけてそうだね」と、夫が笑った。州立公園内の曲りくねった細い道には、鹿が次々に出没する。パークレンジャー事務所を過ぎて、キャビンのオフィスを見つけた。オフィスと言っても、小さな田舎風の家で、そのドアには電話での話し通り、鍵が入った白い封筒があった。それを持って更に奥まで進み、道の行き止まりにやっと私達のキャビンを見つけた。

 今回アーカンソー州バッファロー国定川でカヌーをしようと思い立ったのは、たまたまその写真をインターネットで見たからだ。近くを流れるホワイト川は随分急流で、ラフティングに向いているらしいが、湖を挟みその上流のバッファロー川はもっと穏やかで、静かに漕ぐカヌーに適しているらしい。これなら私にもできそうだ。YouTubeのビデオを夫に見せると、夫はカヌーに興味を示す。こんな成り行きで今回の旅行が決定した。大自然を誇りにするアーカンソー州には、自然を楽しむ観光客向けキャビンが数多くある。しかし大人数で寝泊りでき最新の設備が整っているキャビンは、値段が高い。それは余りにも私達夫婦には、豪華過ぎた。できるだけ川に近い場所が良いのだが、お値段の事を考えると、と困っていた時、偶然、今回のキャビンのホームページを発見した。他の旅行者のレビューを読んでみると、どれも「素晴らしかった」「景色が最高に美しい」と絶賛している。それに値段が他のキャビンと比べれば破格値である。これしか無い!と思ったが、レビューには「人気の宿泊地なので、予約はいつも難しい」とあった。でも、まだ出発日までには日にちがある。駄目もとでトライしてみよう!と夫に電話させたら、あっさり簡単に予約が取れた。


 私達が予約したキャビンは、州立公園内の最も奥にある「リバービュー」で、他のキャビンよりも少々お値段が高い。しかしその差も十ドルぐらいで、キャビン裏のポーチからは、バッファロー・ナショナル・リバーが見えた。川の横には延々と木々が広がる山があり、その絶景を見下ろす山の頂上に位置するのだ。この風景が毎朝晩見られるのなら、十ドル追加で払っても、その価値は充分にあるというものだ。後にこの近辺をかなりドライブし、景観道も走ったが、このキャビン裏から見る風景が一番美しいと思った。


 このキャビンには広いリビングルーム兼ダイニングルームがあり、そこにはベッドとアメリカで「フトン」と呼ばれる折りたたみ式ソファがあった。「フトン」は日本語の「布団」が語源で、ベッドとしても利用できる。その他にベッドルームもあり、ここにもベッドが一つある。クローゼットを開けてみると、なんとこの中にも折り畳み式ベッドがあった。ということは、押し込めば少なくとも四人は泊まれるということだ。私達が泊まったキャビンは「デュープレックス」で、キャビン自体は二つに分かれている。なので、隣の部屋も同じような構造なのだろう。二日目以外は隣に宿泊客は居らず、私達は伸び伸びとキャビン滞在生活を楽しんだ。


 キッチンは最新式の電気コンロがあり、電子レンジ、オーブンも設置されている。食器や料理用道具は全て揃っており、材料さえ持参すれば、料理するのに問題は無い。キャビン近くにレストランがあるが季節営業なので、私達が訪れた時は、既に営業外期間だった。なので食料品持参は必須である。後にマネージャーに「この近くにスーパーはありますか?」と聞くと、「イエルビルまで行かないと無い」と言われた。イエルビルは、私達が通り過ぎた町だが、そこまで十三マイルだ。キャビン到着前に、食料品の買出しに行く方が賢明だ。

 車から荷物を運び、景色を楽しもうと裏ドアからポーチに出た時、ハプニングが起こる。なんと、私がドアを閉めてしまったのだ!私はただ単に「蚊が入らないように」と思ったのだが、そのドアは自動ロックで、閉めたら自動的に鍵がかけられるのだ。夫が、「なんで閉めたんだ!丁度、ポケットに入っていた鍵を、キッチンのカウンターの上に置いたばっかりなのに!」と叫ぶ。なんでって、「知らなかったから」である。「言わない方が悪い」のである。夫にしてみれば、「そんな基本的な事、知らない方がおかしい」ってなものだが、時既に遅しである。夫は玄関のドアが開いているか確かめに行ったが、そこも鍵がかかっていた。絶体絶命だ。仕方が無いので、私達は暗い公園内を、黙々と歩き出した。管理人オフィスに行けば、もしかしたら誰か居て、スペアキーを借りられるかもしれないという望みをかけてだ。しかし私はなんだか「どうにかなるわ」と、この状況にも関わらず、ヘラヘラ笑っていた。おかしな話だが、この間抜けな自分達が可笑しくて、ケラケラ笑っていたのである。管理人事務所まで、少なくとも一マイルはある。なのに「どうにかなるわ」とケラケラ笑っている妻に、夫は私が以前、夫と犬のボジョが裏庭に居るにもかかわらず、鍵を締めて仕事に出かけた時のことを話し出した。そうか、未だに恨みを持っているのかと、これまた大笑いした。そんなこんなをしているうちに、それまで電波が届かなかった夫の携帯に、「電波有り」のシグナルが出た。そこで夫が携帯からオフィスに電話すると、道中で電話をかけた時に出た女性が、電話に出たのだ!コレコレ然々と状況を説明すると、「すぐに鍵を持って行くので、そこで待っていてください」と言って、本当にすぐ車で到着してくれた。結局私達は、キャビンからそれ程遠くまで歩く事無く、スペアキーを手に入れたのだ。終わり良ければ全て良しで、人生楽観的に生きて行くべしと、自分の失態は棚に上げて、またケラケラ笑った。夫にしてみれば、大変迷惑な話である。


 翌日目が覚めると、既に朝日がカーテンの隙間から差し込んでいる。これは写真に撮らねばと、張り切ってカメラを取り出し、裏ポーチに出た。もちろん自動ロックを解除し、何度も外からドアが開けられるか確認した。外に出るとこの景色である!下に見下ろす木々の間に深い霧がかかっており、それは雲のように見えた。テネシー州にある「グレート・スモーキー・マウンテン国立公園」では、山の上に霧がかかるので、そういう名前が付けられたと聞いたが、正にそんな感じだ。


 翌日気付いたのだが、ここでは毎朝そんな濃い霧が発生する。翌日はもっと早く、日の出の時間に目覚めたので、霧は更に濃かった。それは余りにも美しく、赤い空に自分がポッカリ浮いているような気がした。


 清々しい朝で、もちろん外で朝食を取った。キャビン前にはピクニックテーブルがある。そこでオートミールを食べていると、鹿が横切っていくのが見える。家の前に森林があり、鹿が隣人。随分贅沢な朝だと思った。こうして、これまた公園内にあるパークレンジャーオフィスに向かった。

2012年9月7日金曜日

ステーキ・アンド・シェーク Steak 'n Shake



 最近、日が短くなってきた。外で仕事をしていると、その変化が良くわかる。裏庭フェンスの改修工事は、計画よりも大幅に遅れ、現在も続行中。かれこれ、二ヶ月以上も続いているのだが、あまり文句は言わないように心がけている。素人が苦労しながらやっているのだから、努力している事に感謝する方が懸命であると、結婚六年目に突入した昨今、悟るようになった。

 そこで暗くなり、外で仕事をするのが難しくなってきたことだしと、Home Depotに出張し、やっと念願のフェンスの板を購入した。ああ、待ちに待った実際の板!!早く早く、この板達が、隣の家との境界線となる事を、ああ、切実に願う。

 そんなHome Depotの帰り道、せっかくリバティーのモールまでやって来たのだから、どっかに寄って行こうと、私達が選んだのが、「ステーキ・アンド・シェーク」。私はアイスクリームでも食べたら良かろうと思っていたのだが、店内に入った瞬間、ここが「レストラン」である事を忘れていた自分に気付いた。メニューがとてもファーストフード的な為、セルフサービスを頭に描いていたのだが、店に入った時、「どうぞ、お席にお着きください」と、にこやかな若いウェイトレスに言われたのだ。まあ、仕方が無い。最初にドリンクを頼んだ私達は、二人で「ワカモリバーガー」を分ける事にした。78セント追加すると、ポテトを大にできるという事だったので、ポテトの大も注文することにした。

 「ステーキ・アンド・シェーク」は、上質のハンバーガーとミルクシェーキが売りで、1934年、イリノイ州で生まれた。席に着いた夫の背後に、その当時の店舗なのか、忙しそうなダイナーの様子を写した白黒写真があった。広い店内に白い制服を着たウェイトレス達が給仕している様が、大きなガラス越しに見える。駐車場の車からオーダーした客に、ハンバーガーを運んでいるウェイトレスも居る。そうか、この店は、元々ダイナーだったのだと理解した。道理でここのバーガーは、よそのファーストフードレストランのよりも、質にこだわりがあるわけだ。前回ご紹介した「タウン・トピック」のハンバーガーに似ていると思った。今年になって開店したニューヨーク1号店は、全くのセルフサービスで、ウェイトレスは居ないようだが、中西部の店舗は、昔ながらのダイナーの雰囲気を残している。

 そんな店内にある白黒写真を背景に座っている夫を見つめ、「こりゃ、絵になるわい」と思った私は、夫の携帯で写真を取ることにした。赤と黒が基調のインテリア、全てが新しいのだが、なんだか「バック・トゥー・ザ・フューチャー」に出てくるカフェのような気がしないでも無い。ふと店内を見ると、窓際に若いカップルが仲良く座っている。なんだかこれも、60年代の映画に出てきそうな雰囲気である。

 「ステーキ・アンド・シェーク」は、名前にある通り、「ミルクシェーキ」も目玉商品なのだが、私はどうも、この「ミルクシェーキ」があまり好きでは無い。これぞアメリカの象徴ではあるのだが。「アイスクリームを食べる」のは好きだが、「溶けたアイスクリームを飲む」のは、どうもいただけない。しかし、アメリカンを経験したい方は、ぜひお試しを。

2012年9月4日火曜日

共和党全国大会


 ハリケーン・アイザックの影響で一日遅れになりながらも、三日間に亘ってフロリダ州タンパで行なわれた共和党全国大会。もちろん私は現地には行っていないのだが、テレビでしっかり三日間とも見た。正直言って、この共和党全国大会を見て安心した。世間では、共和党の莫大な資金力に任せて、オバマ大統領に対する批判キャンペーンが渦巻いているが、共和党がこんな党大会しかできないのなら、オバマ大統領に到底太刀打ちできない事が、私にははっきりしたからだ。



 党大会初日にスピーチしたのがこのお方、ミット・ロムニーの妻、アン・ロムニー。「テレビの写真を撮れば、ブログに載せられる」という名案が湧いたのが最終日になってからだったので、彼女がスピーチしている番組は録画を消去してしまったのだが、この写真は最終日に彼女の夫ミット・ロムニーがスピーチをしているのを聞いている場面だ。アン・ロムニーは、夫との間に五人の子供を産んでいる。全員が男子で、息子五人が勢揃いしてテレビに映っていたのを見た時は、驚いた。アン・ロムニーのスピーチは、本当を言うと、途中で我が家の愛犬ボジョの散歩に行かなくてはならなかったので、最後まで見なかったのだが、最初の10分くらいは見た。私の側から言わせてもらうと、彼女のスピーチよりも犬の散歩を選んだのは、そのスピーチがあまりにも内容の無いものだったからだ。女性票の獲得を狙ったのは良くわかる。それを妻の彼女に託したのは、良くわかる。しかし彼女のスピーチは、「ああ、女性の同士たちよ、母達よ。最も素晴らしいのは、あなた達です」といった内容で、それがどうして夫のミット・ロムニーに結びつくのか、私には解らなかったのだ。彼女自身が大統領に立候補しているのならわかるが、ミット・ロムニーの応援演説で、女性について語る。私には、その関連性が全く見えなかった。




 二日目の目玉は、副大統領候補者のポール・ライアン。この写真も三日目のもので、彼自身がスピーチしている番組は消去してしまったのだが、これは、特別スピーカーのクリント・イーストウッドの怪奇なスピーチを聞いているところだ。隣に居るのは、ポール・ライアンの妻。ポール・ライアンは現在、「嘘つきライアン」とあだ名されている。それ程彼のスピーチはでたらめでいっぱいだったのだ。よくもまあ、こんな阿呆な嘘を、それも簡単に嘘だと見抜ける嘘を、それも彼の人生最重要の場面で言えるとは、彼のスピーチライターがよっぽど間抜けで、それを彼自身と委員会が見抜けなかったのは、ポール・ライアンにとっても、共和党にとっても、あまりにも不運だったとしか言いようが無い。「嘘つきライアン」の筆頭理由は、彼が自動車製造会社GMのウィスコンシン州工場閉鎖が、さもオバマ大統領のせいであると言い、それ以上に確実な歴史に刻まれた嘘は、この工場閉鎖が、オバマ大統領の就任期間に起こったと言ったことだ。実際は、オバマ大統領が就任する以前、ジョージ・ブッシュの期間に、その工場は閉鎖された。そんなことは記録にあることで、簡単に嘘だと見破れるのに、なぜにライアンはスピーチしたのか。それも副大統領候補指名受諾演説で。スピーチライター任せにした彼が、事実を知らなかったのか。彼のスピーチは、あまりにも虚弱に私の目に映った。「Puppy」「小犬」という文字が、私の頭から離れない。彼のスピーチから、何一つ新しい政策は見られなかった。「自分が副大統領になったら、この不景気を改善します」、それは素晴らしい。じゃあ一体、その不景気改善に対し、実際何をするというのか。彼の計画案は、全くこのスピーチには無かった。



 そして、この背景と共に現れたゲストスピーカーは、なんとかの有名なハリウッド俳優・監督のクリント・イーストウッド。会場に居た共和党支持者達は、大喜びだった。しかし、しかしだ。世の中で、これほど奇妙な応援演説は、見たことが無い。と言うのは、


隣に置かれた誰も座っていない椅子に向かって、オバマ大統領がそこに座っているかのように、話し始めたのだ。もちろんスピーチライターがいて、全てシナリオ通りに語っており、その語り口調は、さすが超一流俳優だけあり立派なものであったが、これはあまりにも馬鹿馬鹿しい舞台である。その内容も、ポール・ライアンのものと大して変わらず、何も斬新なものは無い。この茶番劇自体が斬新だと、共和党委員会は思ったのか。これはあまりにも悲劇である。このスピーチの直後、「Invisible Obama」「目に見えないオバマ」と題したTwitterが始まり、そこにはこのイーストウッドのように、誰も座っていない椅子を指差す写真が投稿され続けている。投稿者の数はうなぎ上りで、なんとオバマ大統領自身も参加しているのだ。その写真は、ホワイトハウスの椅子に座っているオバマ大統領の背中で、そのコメントというのが、“This seat's taken”「座っています」というものだった。このユーモアは、オバマ大統領らしい。現在、空席を指差す事は、“Eastwooding"と呼ばれている。私のFacebookに投稿された写真の中に、上の写真のようなものがあり、そこには、「だから、老人医療保険をカットしてはいけないのだ」と書かれていた。82歳のイーストウッドを、まるっきり馬鹿にしたもので、このような対象になってしまったイーストウッドは、取り返しのつかない過ちを犯してしまったというものだ。


 話題騒然のイーストウッドに対し、共和党大統領候補者の当本人ミット・ロムニーは、ずいぶん陰が薄かった。翌日のニュースでは殆ど彼について語られず、コメンテーター達が一様に「奇妙なスピーチに開いた口がふさがらない」といったコメントを残したイーストウッドの茶番劇のみがスポットライトを集めたのだ。内容も、これまた何も新しいものは無い。全てシナリオ通りのつまらないもので、「出費をカットする」という一辺倒。「出費をカットする」とは、どういうことなのか。つまり、本当に政府の援助を必要としている人たちへの対策を、全て打ち辞めてしまうということなのだ。基本的に、共和党のモットーは、「貧乏人が貧乏人でいるのは、彼らの責任で、お金持ちの自分に税金を払わせるなんて、とんでもない、辞めてくれ!」といったものである。こんな人が大統領になってしまったら、大変なことである。その証拠に、大統領候補指名を受諾した直後の「レイバーデー」に、彼はバケーションに行ったということだ。全く考えられないことだ。

 今回の共和党全国大会が、共和党にとって大きな痛手になったことは、明らかだ。ミット・ロムニーとポール・ライアンの人物性の低さ、政治家としての中身の無さが浮き彫りになったというものだ。アメリカ国民が、真実を見抜いて欲しいものである。

2012年9月1日土曜日

デニーズ



 最近、私の中で好感度急上昇中なのが、なんとデニーズ。アメリカのデニーズを日本のファミレス・デニーズと混同してはいけない。日本のデニーズは、元々アメリカのデニーズと契約していたが、今は社名とロゴだけを使っているだけで、全く別会社らしい。ちょいと昔まで、デニーズと言えば、パンケーキとか、ハンバーガーとか、フレンチフライとか、典型的なダイナーメニューが中心だったが、最近は新メニューに力を入れているように見受けられる。(もしかしたら、私がそれまで気付かなかっただけかもしれないが。)

 日曜日の朝、夫と一緒にデニーズに行った。その店舗は高速からすぐ出た、カンザスシティのダウンタウンにある。地所の良さの為か、レストランは満席だった。旅行客と地元人がごった返した感じだ。なので地元に居ながら、旅行しているような気分もする。席に着いて、メニューを開けると、「ツアー・オブ・アメリカ」という大きな写真が華々しい、期間限定メニューがあった。レストラン内にも「ルート66」を思い起こさせるようなドライブ旅行をイメージしたイラストや、星条旗のポスターが貼ってある。要するにアメリカ各地の名物からヒントを得た新メニューという事だ。これはかなり、アメリカ人の心をくすぐる名案である。例えば、フィラデルフィアの「チーズステーキ」だとか。しかし私が今回注文したのは「マリブ・フィッシュ・タコス」だ。小さめの小麦粉トルティヤの中にあるのは、衣が少々甘いフィッシュフライと、アボカド、トマト、紫玉ねぎ等。それにタコスソースがかけてある。これはずいぶんマイルドな味だ。一口一口、ずいぶん幸せにしてくれる時間だった。


 その一方で、夫が選んだのが、このパンケーキセット。ずいぶん典型的なダイナーメニューである。この辺が生まれた国の違いが出るところである。アメリカ人の夫は、これをずいぶんご満悦な顔で食べていた。これは、日本人が朝食に味噌汁を食べるのと、同じような習慣だと思う。アメリカではずいぶん「肯定的」に受け入れられている朝食メニューである。

 なんだか、日曜日の朝食をデニーズで取るのが習慣になりそうな気がする。