2010年10月22日金曜日

ミズーリ州ウィンザーの夏祭り



(これは、2009年の「レイバーデー」の週末、ドライブ旅行に出かけた時のものです。旅行の直後、この原稿を書き始めたのですが、途中で放り出してしまい、長い間、コンピュータの中で眠っていました。最近、最後まで書き終えたので、(忘れかけた記憶を頼りにしながら)、ここで発表します!)

 ある日、夫が「ドライブ旅行に出かけよう!」と提案する。夫の父が家を持っているミズーリ州のウィンザーという場所で、夏祭りがあるというのだ。土曜日に有給休暇を取り、ドライブに出かけるというのは、ずいぶん久しぶりのことだった。

 カンザスシティーからウィンザーまでは、2時間くらいのドライブである。家を出てすぐにGPSを持ってこなかったことに気づく。
「どうする?家に帰って、GPS持ってくる?」
少々心配げに聞く私に、
「いや、ちゃんと頭の中に地図が入ってるから、大丈夫だよ。ウィンザーには、何回か行ってるからね。」
と、夫は答えた。

家の近くのガソリンスタンドに寄り、まずガソリンを補給する。「労働者の日」連休幕開けの日であったためか、そのガソリンスタンドには、いかにも旅行に出かけます、といった感じの家族連れが多くいた。こういう風景の一部に自分もなっているのは、なんだか嬉しかった。レイバーデー連休のドライブ旅行。いかにもアメリカという感じではないか。


ドライブは、途中まで順調であった。ハイウェイを南に向かって走り、道路脇にある看板の地名をわざわざ声に出し、読んでみたりする。カンザスシティーの郊外に出ると、緑が美しい田舎の風景が続き、たまに牛や馬が放牧されている牧場や、花畑、湖が見える。それは、ドライブ旅行者にとって、のどかで満足する風景だった。こういう所を走ると、どうも"Country road, take me home, to the place I belong" 等と、昔ラジオでよく聞いたカントリーミュージックの一節を、口ずさみたくなる。夫も同じような心境だったのか、一緒にこの歌を歌いながら、私たちはのんびりと、ドライブを進めていった。

しかしウィンザー近くに来ると、それまでのおおざっぱな記憶だけでは行き先の選択をするのに、十分でなくなってくる。ハイウェイを降りた後のローカルな道には道標など無く、見渡す限り、どこも同じような農耕地帯なのである。歩いている人など、当然いない。私たちは、道が二股に分かれた角に出くわした。右に行くべきか、左に行くべきか。夫は「右に行くべきだ」と言う。しかし私は「左に行くべきだ」と言い放ち、結局、私の意見に従って進行方向を決めたのだが、これが大きな間違いだった。行けども行けども、記憶の中にあるウィンザーの風景は出てこず、いつの間にか次の大きな町に行く高速道路付近まで行く。進行方向が間違っているのは明らかで、私たちはもと来た道を逆戻りすることにした。そしてあの分かれ道まで辿り着き、最初に行くべきだった方向に車を走らせる。しばらくすると、ウィンザーと名が入った看板があり、やっと一安心したのであった。

 ミズーリ州ウィンザーは小さな田舎町で、町の中心地も、ごく小さい。しかし、アメリカ開拓時代当時からあまり変わっていないだろうと思われる建物が残っているのである。インターネットで昔の写真を調べてみたら、白黒写真に写るのと同じ建物が、私が撮った写真の中にも写っていた。

 祭りのため通行止めになっている道を避けながら、私たちは、小さな白い天窓が屋根についている夫の父の家に着いた。普段カンザスシティーに住んでいる夫の父は、まだ到着していなかったが、私たちは誰もいないその家の中に入る事にした。私たちが来る事がわかっていたため、家の鍵はかけられていなかった。これで済むのであるから、アメリカといえども、まだまだのどかな場所が残されているのだと思う。その小さな家の中には、まずリビングルームがあり、その奥に大きなテーブルが置かれたダイニングルーム、そのまた奥に小さなキッチンがあった。ダイニングルームから左に行くと、小さなベッドルームがあり、その隣にバスルームがある。バスルームは次のベッドルームにも続いていて、つまり、両端のベッドルームから入れるようになっていた。夫が小さい時から家にあったという木製の体重計が、バスルームの中にあった。その体重計は、重りをずらして量るもので、私の目には、アンティークのように見えた。窓には、太くて白い木製のシャッターがあり、その隙間から外が見える。外が見えるトイレに入ったのは久しぶりだったので、田舎の家に来ている事をさらに感じた。



 しばらくベッドルームで休んでいると、夫の父と祖父がやってきた。慌てて挨拶をし、初めて入ったその家が気に入った事を告げた。その後、夫は、父の友人と話をしてくると言い、私はカメラを持って、祭りが行われている町の中心地に行くことにした。車に乗っている時に見えた古い町並みを、逸早く写真に収めたかった。茶色いブロックにコカコーラのロゴが書かれた建物がある。こういった建物を、見たままに写真に写すには、どうしたらいいのだろう。小さなカメラのスクリーンに映る写真は、どうも私が見たものとは違う。感動を写真の中に閉じ込めたい。いつも思うことである。




 写真を撮っていると、夫が父の友人と共に現れた。犬のボジョも一緒である。所々で写真を撮り続け、私たちはカーニバルが行われている方に行った。そこには、小さな子供達が笑顔を振りまきながら乗っている、小さな移動式遊園地があった。その横に、若い女の子が台の上に乗った装置がある。装置の右端に付いている的にボールを当てれば、女の子が下の水槽に落ちるという仕組みだ。こういう遊びは、昔からあるらしく、映画などで見たことがある。



 夫が何か食べようと言い出す。夫と父の友人はホットドックを、私はバーベキューが入ったサンドイッチを、屋台で注文した。バーベキューと言っても、日本のように串刺しになった物ではなく、じっくり弱火で焼いた肉の塊をほぐした物である。それにバーベキューソースがかけてある。そのバーベキューは、ハンバーガー用のバンズに挟まれて、私のもとに届けられた。この後、夫は家に戻ると言ったので、私は一人でバーベキューサンドイッチをベンチで食べながら、祭りの様子を楽しんだ。写真を撮り、フェンネルケーキがあったので、それを購入した。フェンネルケーキとは、ドーナツのドウのような物を細く絞り出し、丸く型取った後、油で揚げたものである。その上にパウダーシュガーをかけて、熱々のうちに食べる。油で揚げただけのシンプルなおやつである。これを家に持って帰り、夫と一緒に玄関前のポーチで食べた。 




 道の向かいにある広場では、馬の蹄を投げるゲームをしている村の男達がいた。ビールを片手にワイワイと集まった男衆は、何やら楽しそうな雰囲気であった。





 しばらくすると、テントがあるステージで、バーベキューコンテストの結果発表があったので、家から携帯用の椅子を持って見に行くことにした。しかし、せっかく場所取りをしたのに、夫がやって来て、「ディナーの用意ができたから、家に帰って食べよう」と言う。本当を言うと、食事より、バーベキューコンテストの方に興味があったのだが、せっかく義理の父が作った食事を、無視するわけにもいかない。なので、家に戻りテーブルの席についた。




夫の両親は、アメリカの50パーセント以上の夫婦同様、離婚している。長い間独身で黙々と生きてきた父の料理は、無骨ながら、アメリカの原野の味がした。少々固くなってしまったポークチョップ。缶詰のグリーンビーンズ。そしてデザートのケーキ。私が作る料理に比べて、野菜が著しく少ない。これらの料理を、ワインと共に食す。私は、ワインを飲みながら、食事をすることがほとんどないので、すぐに酔ってしまい、あまり食べることができなかった。


 食事もそこそこに済まし、またコンテスト会場に戻る。バーベキューは「男の料理」で、名を呼ばれる人達は、ほとんど男性だ。私はそのバーベキューの味見はしていないのだが、名前が呼ばれるたびにステージに向かい、トロフィーやリボンを誇らしげに受け取る、見知らぬ男達に、賞賛の拍手を送った。 



 このベーベキューコンテスト受賞者発表の後、タレントショーがあった。タレントショーとは、要するに、のど自慢大会である。しかし、田舎ののど自慢大会と侮るなかれ。この地方一帯のタレントショー巡りでもしているのか、中には、ずいぶん素人離れした歌唱力を披露する者もいた。こうした半プロの歌手達と、地元出身の参加者は、一目で違いが分かる。半プロの歌手達が、垢抜けた装いであるのに対し、地元出身者達は、やはりなんだか、「田舎者」という感じがするのである。婦人会や学校でこのタレントショーのことを聞きつけたか、運営委員会をしている友人に頼まれて参加したのだろう、歌唱力が無いのはもちろん、中には、歌詞さえ覚えていない人もいた。その一方、州を超えてやってきた半プロ歌手達は、曲と曲とのつなぎ時間の使い方も慣れたもので、「この曲は、友人の誰々に贈ります」と言ったりし、ほとんどスター気分なのである。この辺が、私が一番感心した点である。このタレントショーの審査員は、地元のラジオ局のDJである。やはりそれなりに、そういう分野で活躍している人を選んでくるんだなと、この点も感心した。

 このタレントショーが終わったのは、夏の夕暮れから夜に変わる頃で、オレンジ色のライトがついた会場は、たくさんの人が詰めかけていた。こんな小さな町に、こんなにたくさんの人がいたのかと驚くほどである。この会場で、今度は、地元婦人会メンバー作成の「キルト」や「パイ」のオークションが始まった。このオークションの司会は、プロと思われる男性二人で、何を言っているのか良くわからないほど早口で、まるで歌を歌っているようなリズミカルなテンポだ。こういう人は、テレビでは見たことがあったが、生で見るのは初めてだった。キルトもパイも、どこか他の場所で行われたコンテストに出品された物らしく、「このキルトは、賞を取りました」と紹介する。これが、結構なお値段で売れてゆくのである。参加者が手を挙げる度、カウボーイハットを被ったフェスティバル運営者達が、大きな声で威勢良く知らせる。きっと、開拓時代のカウボーイ達も、年に一回のフェスティバルを、こんな風に盛り上げていたのではないかと、なんだか、アメリカの大地を感じる光景だった。こうして夜も更けてゆき、このオークション終了後、カンザスシティーまでドライブして帰った。

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