2010年11月21日日曜日

ケースパーク



 アメリカ大陸の中央に位置する、ミズーリ州カンザスシティー。そのダウンタウンの一画「クオリティーヒル」に、「ケースパーク」という公園があります。カンザス川を見下ろす丘の頂に作られたこの公園には、アメリカ人としては初めて大陸を徒歩で横断した「ルイスとクラーク」の銅像が立っています。ルイスとクラークは、アメリカ第三代大統領トーマス・ジェファーソンの命により、「ルイジアナ買収」でフランスから手に入れた広大な土地を調査した、探検隊の隊長達でした。ジェファーソン大統領が命じたことは、「ミズーリ川流域を探検し、太平洋に続く水路を見つけよ」というもの。それに加え、大陸の天然資源や、動植物の調査も課せられました。フランスから購入した土地は、それはそれは「未知なる世界」だったのです。



 ルイス・アンド・クラーク探検隊は、太平洋到達後の帰路、1806年9月15日に、現在ケースパークがある丘に登ったことが、彼らの日記に記録されています。ルイス大佐はこの丘を、「見晴らしが良く、砦を作るのに最適な場所」と記しました。確かに、この公園からは、下に広がるカンザス川と広大な平野が一望でき、その当時は、ヘラジカ等の野生動物がのんびりと歩いていたことでしょう。現在のケースパークからは、高速道路や20世紀初頭に建てられたブロック造りの大きな倉庫群が、西方面に見えます。ここから眺める夕日はとても美しく、夕暮れ時になると、ベンチに寄り添い合うカップルが、出没します。



 隊長であったメリーウェザー・ルイスと、ウィリアム・クラークは、二人とも軍人でしたが、この探検旅行は、彼らだけで行われたのではありません。40人ほどの探検隊に、旅の途中、現在のノースダコタ州で、フランス人毛皮商人の「トゥーサン・シャルポノー」と、彼のネイティブアメリカンの妻「サカガウェア」が加わります。サカガウェアは、少女期に他部族のヒダッサ・インディアン族に誘拐され、奴隷となった後、妻としてトゥーサン・シャルポノーに売られたのでした。サカガウェアはロッキー山脈がある現在のアイダホ州に住んでいたショーション族の出身だったため、西部のネイティブアメリカンの言語に精通しており、通訳として大活躍しました。トゥーサン・シャルポノーとの間の子供「ジェーン・バプティスト・シャルポノー」を、1805年2月11日に出産し、子連れのまま、旅を続けます。行く先々、白人部隊に対して警戒心を持った現地人達も、赤ん坊を連れたネイティブアメリカンの若い母親の姿を見て友好的になり、戦争を回避したといいます。こうしてルイス・アンド・クラーク探検隊は、一人の戦死者も出すこと無く旅を終了しました。サカガウェアの多大な貢献を、心底感謝していたのか、クラークは、早死にしたサカガウェアの死後、彼女の息子のジェーン・バプティストを、養子として迎えました。ケースパークの銅像には、ジェーン・バプティストを背負うサカガウェアも含まれています。




 ルイス、クラーク、サカガウェアの銅像の裏側には、「ヨーク」という黒人奴隷の姿もあります。彼は隊長の一人、ウィリアム・クラークの奴隷だったのですが、探検隊の他のメンバーと同様に、発言権があり、偵察、狩猟、野営での治療などのスキルがあったそうです。その当時、黒人奴隷の武器所有が禁止されていたことを考えると、旅行中、かなりの自由が与えられていたようです。しかし、探検旅行終了後、他の白人メンバー全員が給与と土地が与えられたにもかかわらず、ヨークには何も与えられませんでした。彼はクラークの所有物だったからです。探検隊への貢献の報酬として、ヨークは自由を求めたそうですが、その後の彼の人生には諸説が有り、良くわからないようです。



 ヨークの隣には、「シーマン」という、ルイス大佐の犬がいます。シーマンはペットではなく、探検隊の重要なメンバーの一員で、馬を駆集めるなどの、人間が出来ない仕事をしていたようです。

 とまあ、ダウンタウンの小さな公園にある銅像には、アメリカでは重要な歴史が、ずっしり詰まっているのです。カンザスシティーにお越しの際は、ぜひ立ち寄ってください。